写真撮影(桜木町駅周辺)

少しばかり残業を済ませたのち、再び横浜ランドマークタワーに行ってきました。夜景を撮影するためです。平日だと人も少ないだろうし…という算段です。実際少なかったですけどね。機能と同じ撮影機材を持って挑みました。昨日好きだった構図と結果的に変わりません。遠方は霞がかってて、ちょっと撮影に難あり。

思った以上に大変だったのが、室内の映り込みが多かったこと。偏光フィルター持参しなかったことを後悔しました。または情報としてよく耳にする黒い布(実行には勇気要りそうです)。

あとは桜木町駅前をウロウロして気になったものを撮影。仕事帰り且つお腹も空いていたので、適当に切り上げて終了。反対側の野毛方面もちょっと気にはなりますが、また今度。

仕事帰りの夜景撮影というのも、やろうと思えばできるものですね。近場限定で範囲限定されますけど。今後はまた何か考えたいと思います。

(書籍紹介)菅俊一「観察の練習」

良い写真を撮るなぁ、って人は題材の見つけ方がとても上手という印象がある。そして一緒に同じ場所を巡っていても、全くの別物になる場合もある。持って生まれたセンス、と言ってしまうと救いはないので(実際ないかも知れないけど)、何とか着眼点のヒントを得られればなぁ…と思って購入した。

この本の結論は本の帯に記されているのだけれど、「小さな違和感」を大切にすること。いつもと違うものはないか、見過ごさない注意力を持てるかどうか。そして、人に自らが抱いた違和感を伝えるだけの技量があるかどうか。

もちろん、違和感を感じた場合に素早く撮影できるようにカメラを肌身離さず持ち歩くことも大事なのだけど、重量が嵩むとちょっと億劫になりがち。この辺はスマホでもよいのかもしれない。昔だったらコンパクトカメラってことになるのだろうが。とにかく、違和感を見過ごさず記録することが大事。

ちなみにデザインを生業とする方らしく、本文も色々と工夫がされている。文章がグルグルとぐろを巻いていたり、新聞記事っぽく表現されていたり。写真と、それを説明する文章が一体となってデザインを構成している。書店で一目ぼれして購入した本だが、買っただけの価値はあったな、と個人的には思っています。

写真撮影(等々力渓谷→ランドマークタワー)

本日は写真を撮りに等々力渓谷に行ってきました。都内の渓谷とのことで若干興味があったからです。Twitterで調べてみると、お休みのタイミングでモデルさんの撮影会が行われている場所のようでもありますが。本日使用した機材は以下の通りです。

  • 本 体:OLYMPUS OM-D E-M10
  • レンズ:M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

持ち歩くレンズ本数をセーブできるため、最近はこの高倍率ズームに頼りきりです。レンズ性能にカメラ本体が負けている気がしないわけではないです。しかしながら、換算24㎜~200㎜、本体内部機能のデジタルテレコンを利用すれば400㎜相当になります。幅広く対応できてとても便利です。

さて、今回のテーマですがいろいろ悩んだ末、モノクロ撮影にしました。今回は曇りであるということと、雨の影響か等々力渓谷の水が茶色く濁って水量も多かったからです。ちょっとローキー気味に設定して撮った結果がこちら。

この後、急激に雨が降ってきたのですが雨宿りするところもなくずぶ濡れに。一応、三段の折り畳み傘を持っていましたが、まるで役に立ちませんでした。

その後、横浜のランドマークタワーに移動して69階の展望台へ。途中、みなとみらい駅の壁の赤青の壁が面白かったので思わず撮りました。

本日は曇りだったので展望台もガラガラ。エレベーターガールと1対1で説明を受けたときはとても困りましたが…。普通に撮っても…と思ったので、今回はジオラマでの撮影に挑戦。やってみるととても面白いもので、よく見る施設などを中心に夢中で撮影してました。ガラガラなので撮り放題、お子様も少ないのでガラスの指紋付着も少なく、環境良好でした。青空がなかったことを除けば…

夜景まで粘ろうかとも思いましたが、先のスコールで靴の中がずぶ濡れで気持ち悪かったこともあり、日没を待たずして撤退。次は夜景を撮りに訪れたいものです。

 

新しくサイトを作りたい

お久しぶりです。振り返れば1年に1~2回程度しか更新していないですね。ネタが全くないわけではないのですが。

Twitterでも少しつぶやいたが、サイトを新しく作りたいと考えています。理由はそんなに深くなく、最近のサイト作成ツールを利用して何か作ってみたい、という欲求によるものです。コンテンツは何も考えてませんが、写真でも投稿できればなぁ…とか。

写真程度ならTwitter等のSNSでも投稿してますけどね。

Lolipopサーバでは今使用しているWordpressのほかに、BaserCMSというサービスも提供しているらしく、ツールとして注目しています。企業用のサイト構築ツールのようなので、私のような個人が利用するには重すぎるのかもしれませんけど。

このブログについても、ちょっと色々と手を加えたい。特にカテゴリーとかごちゃごちゃしてて整理しないと訳が分からない状態。中途半端になってるところもあるよなぁ、とか思うのですが、時間が経ちすぎて今更感もあったり。というより、漢籍読みもご無沙汰過ぎて浦島太郎。ゼロベースで学びなおさないとアカンでしょ、と思ってます。

とりあえずこのブログの保守管理ついでに記事を投稿しましたが、いま思っているのはそんなところですね。

…これだとTwitter上のつぶやきと大差ないですね。うーむ。


<追記(21時05分)>

ちょっと見返してみましたが、漢籍を読んで投稿していたのは5年以上前になるんですね。光陰矢の如しというか、なんというか。

趙匡華「中国古代化学」丸善出版(2017)

本書は中国の古代から清代に至る化学技術史について述べている。テーマを全部で6つに分け、簡潔に記述している。章立ての順番で記すと、製陶技術、冶金技術、製薬技術、製塩技術、醸造技術、染色技術である。内容は当時の科学技術でどのような製造がおこなわれていたかに焦点を絞っている。そのため、その技術が当時の歴史的事件や係争に関わったかはほとんど語られていない。当時の科学技術が当時の政治情勢に及ぼした影響については、他の著作をあたるか、本書の記述を元に読者が考察する必要がある。

本書の著者、監修、翻訳はすべて分析化学の専門家で構成されている。中国史に関する知識について、原著者は中国科学技術史会の常務理事を務めているが、監修や訳者は歴史的な知識を電子文献等の公開情報によって得ているとした。単位系の換算についても同様である。そのため科学技術ではない、歴史学的な用語については留保をつけて読む必要があると思われる。

また参考文献の項目がないため、記述の根拠になった資料については本文の言及をヒントに自ら探す作業が必要となる。当然、文献だけでなく実際に出土した文物の分析結果によるものもあるが、そういう意味で本書は概説書として利用することが妥当であると考える。

そのような前提に立って本書を参照すると、古代の人たちが試行錯誤によって科学技術の成果を洗練してきた歴史が見えて非常に面白い。ヨーロッパの科学も錬金術の成果を受けながら発達してきた歴史を持つが、古代中国においても方士が古代中国の科学技術発展を担っていて、個人的に相似性を感じるところである。

これら科学技術、特に製塩や製鉄など戦争の係争原因となりやすい部分は、別の機会に別の文献を参照しながら知見を深めていきたいと考える次第である。

【感想】塚瀬進『マンチュリア史研究ー「満洲」六〇〇年の社会変容』(吉川弘文館)

感想文を長く書くのは少し疲れるので、思いついたことを箇条書きで記していきます。

<興味の背景>

  1. 長らく読書から離れていたため、再開にあたって興味ある話題について本を読もうと考えた。
  2. 若い頃のゲームの影響(大戦略、提督の決断など)で昭和史に興味があり、その中でも満州事変の周辺は詳しく踏み込んだことがないので、この話題に関係する本を読もうと考えた。
  3. そもそも満州とは何か、ということについて何もわからなかったので、Kindleストアで検索したところ、小峰和夫『満洲』(講談社学術文庫)が目に止まり、読んでみることにした。
  4. 読み進む過程で満州という概念が一筋縄でいかないことを感じるとともに、もう少し理解の度合いを深めたいと考えた。また小峰和夫『満洲』(講談社学術文庫)の原本は1991年刊行であり、今から約四半世紀も前になる。当然、四半世紀も経過すれば学術上の進展もあるだろうと考え、直感に従って手頃な学術書を求めることにした。
  5. 神田古書街の南海堂書店にて、タイトルがそのものズバリである塚瀬進『マンチュリア史研究』(吉川弘文館)を発見。定価11,000円に対する販売価格7,500円でお買い得感もあり、手頃な値段かどうかは差し置いて買い求めることにした。決めては参考文献と従来研究のまとめがしっかりしていそうだったこと。この時代の研究領域についてはなんの予備知識もなく、本当の直感であった。

<読書の目的>

  1. 満州に関する研究がどのように行われてきたか、その視座を得ること。
  2. 先に読んだ本の知識をベースとして、最新研究内容に理解をアップデートすること。
  3. 興味対象を拡大しながら、次に読むみたい本を探ること。

<懸念してたこと>

  1. この分野に関する基礎知識が全くない。この点は読み進めながら理解していくしかない。鶏が先か、卵が先か、みたいな議論である。
  2. 地名が出てきても、それがどこを指すかパッとわからない。地図はほしいけど、中国歴史地図集は現在、8冊セットでないと購入できない。

<感想>

  1. 明清期の制度に関する知識を全く欠いているため不安に思ったが、必要最低限の説明は付されていたので意味不明のまま読み進めるようなことはほとんど起きなかったと考える。ただし、曖昧なまま読み進めた項目もいくつかある。これらはおそらく、この本を買い求める人であれば常識のたぐいなのだと思われる(私のような一般人が買うのは想定されていない)。例えば「羈縻衛所」「馬市」「招撫」「京運年例銀」「旗人、旗界、圏地⇔民人、民界、民地」etc…
  2. 当時の経済活動に関する記述に対する理解をすすめる上で、経済学の基礎的な知識が必要とされること(物価や振替決済、兌換紙幣、非兌換紙幣など)。これに加えて流通している貨幣が時代、地域ごとにバラバラで理解が簡単に追いつかない。
  3. そもそも清朝の旗民分治制とは何か。旗人=世襲制の軍人階級という理解で良いか。しかしながら、非兵士の旗人も清朝末期には多く居たとされ、結局、本書を読んでもはっきりとした理解を得ることはできなかった。もっとも、これだけで独立した研究テーマとなる代物である。現在進行形で研究が進んでいるのであろう。
  4. 満州国に対する見方が広まった。日本と満州の商習慣的な違いからくる、日本主体の統治の困難性。日本の経験に基づく施策は、村民末端まで浸透することはなかったとしている。また重化学工業に対する投資により、一部では企業城下町を形成したが、それは満州国内一般の事象ではなく、特定の地域で見られた現象だとしていた。満州国の政経関係はもう少し調べてみたい。

以上

【再読】M.J.アドラー、C.V.ドーレン『本を読む本』(講談社学術文庫)

ここ数年は電子書籍ばかり読んでいて、仕事上を除けば紙の本は滅多に読むことがなかった。しかしここ最近、紙の書籍に復帰した。きっかけは何年か越しの部屋の掃除であった。

 

読書そのものを止めていたわけではないけども、電子書籍ばかり流し読みしていた結果、アウトプット行為からは久しく離れてしまっていたように思う。ここのブログの更新履歴が何よりも物語っている。

そこでもう一度、読書という行為をおさらいする為にM.J.アドラー「本を読む本」(講談社学術文庫)を読もうと考えた。アドラーは読書という行為について、このように述べている。

読むということは程度の差こそあれ、ともかく積極的な行為だが、積極性の高い読書ほど、良い読書だということを特に指摘したい。(p.16)

高度な読者を相手に書かれた難解な本こそ、このような積極的な読み方が必要であり、また、そのような読み方に値する。(p.19)

その意味で、本という物は自然や外界と似ている。本に向かっていくら問いかけてみても、読み手が考え、分析した限りでしか、答えは返ってこないのである。(p.25)

積極的な読書という考え方は、本書全体を貫くテーマである。ある種の啓蒙、鍛錬として良い読書を位置づけ、その手段を読者に与えることが本書の目的である。娯楽としての読書は初めから対象外とされている。

原書の発刊時期は1940年のアメリカ。ここまで強烈に積極的な読書を推進する訳は、マスメディアに囲まれた生活によって人間の精神的な営みが衰えているという危機感がある。テレビやラジオ、様々な娯楽や情報は人為的なつっかい棒であるが、人間的な成長はもたらさない。積極的な読書による精神的成長を続けなければ、人間としての死を迎えるとまでアドラーは断言する。

自分の中に精神的な貯えのない人は思考することをまったくやめ、やがて死がはじまる。(p.254)

自分の中に精神的な貯えを持たなければ、知的にも、道徳的にも、精神的にも、われわれの成長は止まってしまう。そのとき、われわれの死がはじまるのである。(p.254)

こういったアドラーのテーマと問題意識を背景として、読書術が展開されていく。古今東西の膨大な書籍に対して綿密な分析を実施することはとてもでは無いが、時間的にも労力的にも困難である。その為、具体的な分析読書やシントピカル読書をする前に点検読書を推奨する。点検読書の目的は、多量の文献に対して精密分析するだけの価値があるかを短時間に峻別することにある。巷の速読術とか大量にビジネス書を読みこなすテクニックなどは、この点検読書の一種である。

  • 表題や序文
  • 目次
  • 索引
  • 帯などの謳い文句

こういった情報を参考としながら、拾い読みして全体のテーマや論点を整理し、その後の段階に至るべきかどうかを読者は判断しなければならない。そしてその中で己を成長させうる、難解な書籍に対して分析読書を開始するのである。

分析読書ではキーワードや単語の使われ方、論理展開に気をつけながら著者の主張の把握に努めることになる。しかしながら、読者の役割は著者の主張を理解するだけではない。

内容が理解できただけでは、積極的読書として十分とは言えない。「批評の務めを果たして、つまり判断を下してはじめて、積極的読書は完了する」。(p.146)

つまりアウトプットである。アドラーは批評のポイントとして、著者の主張に以下4点が欠落していなかったか読者に確認を求める。

  1. 知識が不足している
  2. 知識に誤りがある
  3. 論理性に欠け、論証に説得力が無い
  4. 分析が不十分である

この4点のどれかが引っ掛かれば、読者は著者に対してその誤りや不十分さを指摘する。逆に、これらが完璧であれば、読者は著者の主張に対して首肯することになるのである。

そして著者が最後に掲げるのがシントピカル読書である。これはあるテーマに従って複数の書籍を比較検討する読み方であって、卒業論文等で実施される文献調査のようなものである。その際、読者は各書籍の表面的な用語やキーワードの違いに惑わされることなく、書籍同士の関連性を見抜かなければならない。よって、シントピカル読書を実行する為には点検読書や分析読書に習熟していなければならない。高度な知的営みである。

シントピカルな分析が獲得しようとしている特性は、「弁証法的客観性」という言葉で要約される。(p.234)

書店に行けば読書術に関係する書籍は幾つも見るが、このアドラーの「本を読む本」はその中でも白眉である。本を読み、その内容をアウトプットするという知的営為を行う者にとって、本書は座右とすべき一冊と考える。

なお、本書の紹介は2回目となる。過去の記事を読むと、同じ本を読んでも感じ方が違うものなのだなぁと思った次第。

ブログに回帰してみようかな、という話

さてどうしましょうか、ということである。現状、年1回程度の投稿をするためにこのブログがあるといっても過言ではない。しかも投稿内容は取り留めのない話ばかりである。差し当たり何か語りたいことがあるかといえばそうでもないし、何も語るべきことがないわけでもない。単に話題を見つける力の低下というべきか。

それでもブログを続けているには理由があって、それはこの独自ドメインを普段のメールサービスとして利用している、というものである。独自ドメインなので仮にプロバイダ契約を変更したり、Gmail利用を控えたりするときの避難場所として有効であるし、いざとなればメールアドレスを無限に増やせるからゲフンゲフン…というわけである。このブログはそのオマケとして存続しているといっても過言ではない。

このブログはレンタルサーバー業者(Lolipop)が提供するWORDPRESSというサービスを利用したものであって、定期的にバージョン更新が行われる。この記事を書いている段階ではver.4.4.2である。存続させる以上は最低限のセキュリティに配慮するわけで、全く管理していないわけではないのである。実は本日もレンタルサーバ業者からセキュリティ維持のためのバージョンアップを急かされて対応したのである。

今回、ふと気になってWORDPRESSに関係する書籍を調べていたところ、今更ながらではあるが、ホームページ代わりの運用も可能であることがわかった。周回遅れもいいところである。せっかくポメラDM100を毎日持ち歩いていることであるし、何か思いついたことを取り留めもなく記して投稿しようと思った次第なのである。

本当はしっかりとコンテンツ内容を検討したり宣言したり、ということを経て動く方がいいのかもしれないが、私はそういうことが向いてない性分らしい。だから思いついたらとりあえず動きつつ、後から軌道修正をする感じでも構わないのではないかと思っている。ここのブログの中でグダグダしている分には誰に迷惑をかけるわけでもない。
ということで、次回はまた何か思いついたら投稿する予定である。

向殿政男『よくわかるリスクアセスメント-事故未然防止の技術-』(中災防新書)

https://www.jisha.or.jp/order/tosho/index.php?mode=detail&goods_cd=25839

リスクアセスメントに興味があったことから上記の本を読了した。初めて触れる内容では無いから中身の一部は知っていたが、卑見の限り、内容は簡潔で抑えるべき処を抑えており、入門として非常に有用だと思う。

本書の内容は文字通り、リスクアセスメントである。安全設計思想、危険源の同定、リスク分析、リスク低減策の実施。これらを一言で言ってしまえば、安全性に関する事前評価ということになる。完全無欠な安全、というものがこの世に存在せず、且つ期待することも出来ない以上、どの程度まで事故のリスクを低減すべきなのか、その手法について論じている。

具体的な内容は買って読んでいただくことが正解だと思うので差し控えるけども、企業にとってどこまでリスクを評価し、低減するべきかという判断は難しい。業種によって大丈夫とするリスクレベルは異なるだろうし、またリスク回避策としての多重化や冗長化は一般的に手間暇やコスト増加に繋がる。安全は目に見えないから、コスト削減を掲げるときにはこういった多重化や冗長化は軽視されてやすい。その為にも、何によって安全を確保しているのか、その評価基準を設定して認識を共通化させておくのは、対外的にも、内部的にも重要であるように思われる。

リスク評価の話自体は決して難しい話ではないが、それを社内でどのように位置づけて、、、となると急に一筋縄でいかない調整を要する問題となる。この本は基礎である。これを今の環境に対してどのようにしてシステマチックに運用していくかが、担当者として必要な実務能力となるのだろう。