近況報告

色々と長く時間をあけていたが、その間に考えていたことを幾つかまとめて記す。

<サーバ用のパソコン新調の件>
パソコンを新調したいと考えていた。別に現行機でも何ら困るような性能ではないのだが、今までBTOパソコンばかりで実際に自作した経験がないのでやってみたいこと。最新パーツでなくてもサーバ程度の利用なら安価で済ませられる見込みのあること。こういった関係で一度ゼロから組み立てようと思い立ったのである。

そして今回の検討に置いては、もう一つやろうと考えたことがある。それは地デジ対応のパソコンにすること。地デジ化してからテレビを自宅で見ていないから、これを機に設置しようというものである。もっとも、1年間見ないで業務上も私生活も支障なかったのだから、このまま無くても問題なしともいえるが。

検討を進めた結果、サーバ目的ならLinux系OS及び1世代以上前のパーツ構成でも何ら問題ないことがわかったが、一方で地デジ目的を志向するとWindows系OSで最新パーツ(性格には地デジの規格適合品)にしないといけないことがわかった。結果的に費用は嵩む傾向に。

長く比較検討していると意欲が徐々に減るため、今は検討を中止している。今すぐ買わないとやばい、何が何でも欲しいという筋合いのものではなかったということだ。

<タブレット+Bluetoothキーボード組み合わせの件>
タブレットを購入してもうすぐ1年が経過するが、通常のネット検索やSNS利用では特に不自由していない。むしろ私が購入したのがASUSのTransformer TF101であることから、今までのWindows系OSからの移行に違和感すら感じなかった。ここ1年間の経験を考慮する限り、外出先はタブレットで何も問題ないだろう。

しかし今の10.1型は持ち運ぶのには少々大きい。一回り小さい方が望ましいと考える。そのため、7型あたりが次回買い換えの候補に挙がる。お値段的にも手頃感があるし、ヘビーな使い方を想定しなければ7型でも十分だ。後は琴線に触れるような端末に出会えればいいのだが、電器量販店の店頭を見る限り、あまりパッとしない。そもそも私の利用する店のタブレットコーナーがこじんまりとし過ぎているのだが。

それに今度はキーボードの問題もある。今使用しているポメラのDM20が外付けキーボードとしても利用可能なら問題ないのだが、実際はQRコード読みとりを経由しないとダメだ。そして店頭で外付けキーボードを見るに、ポメラに勝るキーボードは無い(使い慣れているということもある)。最新型のDM100はAndroid端末ととにかく相性が悪く(iPhoneやiPadとは相性が良い)、英語キーボードの認識からうまく変更できない。QRコード読みとりを使用するのであればDM20と何ら変わることはなく、あえて買い換えようとする必要性はなくなる。

結局、1年間かけて理想的な組み合わせは脳内にできあがっているのだが、購買意欲を沸き立たせるような実機が見つからないという実状だったりするのである。

<ミラーレス一眼レフカメラ>
ミラーレス一眼レフを購入して4ヶ月。写真を撮ることは嫌いではないので、何か機会があるごとに写真撮影をしている。私の場合、特に飲食物と風景がメインになるのだが。

カメラに凝りだすとレンズ及び周辺機器に投じる金額が増える。私の場合はすでにカメラ本体と標準ズームレンズ、単焦点レンズ、望遠レンズの3つを購入している。殆どアウトレットでの入手なので定価に比べて幾らか安価なのだが、しかし全体的にはそれなりだ。

今後は脚立の購入が最有力になるだろうが、そのためには持ち歩くカバンを検討しなければならないし、バッグばかり増えても仕方ないし云々・・・という問題がある。しばらくは単焦点か標準ズームで撮影をすることになるだろう。

【個人的メモ】HMT(ヘキサメチレンテトラミン)の利根川水系流出事件

5月19日(土)、利根川水系の浄水場で水道法の基準値(0.08mg/L)を超えるホルムアルデヒドが検出され、利根川水系を水源とする千葉県我孫子市や柏市等、一部自治体で断水する騒ぎが発生した。

 利根川水系から取水する首都圏の浄水場の水道水から有害物質ホルムアルデヒドが検出された問題で十九日、千葉県では柏、野田、流山の三市の全域と八千代、我孫子両市の一部で断水し、計約三十四万四千世帯に影響が出た。
(2012年5月20日 東京新聞朝刊

原因は利根川水系に注ぐ烏川に由来するとみられ、埼玉県と群馬県は原因を調査した。当初は烏川沿いにありホルムアルデヒドを使用する製造業者から流出したものという推測もあったが、立ち入りした結果は基準値以下で原因の早期特定には至らなかった。
  【5月20日】浄水場等からの水質基準値を超えるホルムアルデヒドの検出を受けた河川水の調査結果について(環境保全課)

その後の5月25日(金)、調査が進展してDOWAハイテックの産業廃棄物に含まれるHMTが原因であると報じられた。

関東の利根川水系の浄水場で水質基準を超えるホルムアルデヒドが検出された問題で、埼玉県は25日、原因物質とされるヘキサメチレンテトラミンの処理を委託された群馬県高崎市内の産廃処理業者が、利根川支流の烏川に排出した可能性が高いと発表した。

 埼玉県によると、同県本庄市の化学品製造業「DOWAハイテック」が廃液の処理を烏川流域の産廃処理業者2社に依頼。うち1業者が中和処理した廃液を烏川に放出していたとみられるが、この業者の施設は原因物質に対応していなかった。 埼玉県の調査に業者側は「ヘキサメチレンテトラミンが含まれているとは知らされていない」と話している。一方、DOWA社は「廃液の分析値を示しており(業者が)適正に処理していればなんら問題にならない」とした。

 同物質は工場廃水を規制する水質汚濁防止法や、廃棄物処理法で有害物質として規定されていないが、埼玉県は25日、DOWA社に立ち入り検査し、業者との委託契約の内容などの報告を求めた。廃棄物処理法に基づく告知義務違反に当たらないか慎重に調べている。
(2012年5月25日 日本経済新聞

各紙の情報をまとめると以下の通りとなる。

5月10日、群馬県高崎市の産廃処理業者「高崎金属工業」は埼玉県本庄市のメッキ加工メーカー「DOWAハイテック」からHMT含有の廃液60トンの処理を請け負った。これはDOWAハイテックが通常時に委託していた産廃処理業者がトラブル発生により処理不可だったための代替措置だったようだ。

同社では廃液に含まれる含有物質と水分の分離処理を行い、上澄み分は川に排出、残りは産廃業者に処分を委託して再発を防止していたという。

 しかし、5月中旬ごろ、業者側のトラブルなどで一時的に代替業者が必要になり、廃液は高崎市内の産廃業者2社に臨時に委託することになった。このうち、1社は焼却処理したが、もう1社は通常の中和処理で対応、HMTの十分な排除には至らなかった。
(2012年5月25日 産経新聞

しかし、高崎金属工業の廃液処理は中和処理施設のみで、HMTを処理する能力を有していなかった。よってHMTは未処理のまま排水として烏川に放流された。HMTはゴムを加硫する際に使用される物質で、強酸・酸化剤環境下で有毒ガス(ホルムアルデヒド、アンモニア、シアン化水素など)を発生させる。そのため、HMTを含む河川水を消毒するために浄水場で添加された塩素が、ホルムアルデヒドを生成させたものと考えられる。
  1,3,5,7‐テトラアザトリシクロ[3.3.1.13.7]デカン(別名:ヘキサメチレンテトラミン)

さて、現在判明している問題点を追ってみよう。

廃棄物処理法では、排出事業者が事業活動により発生した産業廃棄物の処理に責任を持っている。そのため、同法では排出事業者が産業廃棄物の性状を把握し、それを適正に処理できる産廃処理業者に委託し、ちゃんと最終処分が行われたかマニフェストを通じて確認する必要がある。また、委託先の業者が適正処理可能かどうか、排出事業者は現地に行って確認をしなければならない。これが産廃処理の大原則である。よって単純にいえば、排出事業者側が適正な情報開示をせずに処理委託をしたならば全面的に排出事業者側の責任である。一方、排出事業者が適正な情報開示をしているにも関わらず、受託側が意図的に適正処理できないのを隠蔽していたのであれば、産廃処理業者側が悪いということになる(それでも事前調査不足ということで排出事業者の責任は免れないだろう)。

だが今回の問題をややこしくしているのは、HMTが廃棄物処理法上の有害物質には指定されておらず、HMTの存在を廃棄物データシート(WDS)の項目に記載しなくても法的責任を問われないし、HMTを放流すること自体に何ら法的問題がない点である。そのため、DOWAハイテックは告知義務のないHMTの存在を高崎金属工業に知らせないまま処理委託したのが実際のようだ。

 利根川水系から取水する首都圏の浄水場で検出された有害物質ホルムアルデヒドの原因物質は、水質汚濁防止法では河川に排出する規制の対象外で、廃棄物処理法も委託会社の告知義務に抵触するか明記していない。埼玉県からは「産業廃棄物処理業者の法的責任を問うのは困難」との声が出ている。
 厚生労働省などは原因物質を、ゴムや合成樹脂加工に使われるヘキサメチレンテトラミン(HMT)と特定。浄水場で使われる塩素と反応すると、ホルムアルデヒドがつくられる。
 水道法に基づく水質基準は、ホルムアルデヒドの基準値を一リットル中〇・〇八ミリグラムと規定。一方、工場排水の基準を定める水質汚濁防止法で、HMTは「環境への影響がない」(環境省水環境課)と規制の対象外としている。
(2012年5月26日 東京新聞朝刊

ところが9年前の2003年、DOWAハイテックがHMTを工場排水と一緒に流した結果、行田浄水場で高濃度のホルムアルデヒドが生成したという今回の類似事例を起こしている。このときはDOWAハイテックがHMTを排水しない防止措置をとり、また特異事例であるため埼玉県側も法的な規制項目に追加するほどの話ではない、と当時は判断したようだ。

廃棄物処理法施行規則第八条の四の二 第六項には「委託者の有する委託した産業廃棄物の適正な処理のために必要な」情報を契約時に処理業者へ知らせなければならないと記載している。今回、埼玉県側が頻りに「過去事例からHMTの危険性は知っていたはずだ、道義的責任はある」と主張するのも、この条文からDOWAハイテックの責任を問うための布石なのであろう。

 埼玉県行田市の行田浄水場で二〇〇三年に検出された高濃度のホルムアルデヒドは、ハイテック社の排水に含まれるHMTが原因と確認されている。県は「ハイテック社は九年前の問題で、未処理ではホルムアルデヒドになることを知り得ていたはずだ」とみる。
 高崎金属工業はHMTの告知を受けなかったと主張。これに対しハイテック社は取材に「HMTを告知する義務はない」と違法性はないと主張している。
 埼玉県は九年前、排出規制の必要性は見過ごしていた。県は「当時は特異な問題と考えていた。会社が排出対策をとったため、国などに規制を求める必要性はないと判断した」と説明。今回の問題を受け、再発防止のためHMTの排出規制を国に求めている。
(2012年5月26日 東京新聞朝刊

今後はHMTを新しい規制物質として追加するように法改正が行われるだろうが、同様の物質は数百種ある。今回は類似事例から偶然辿ることが出来たが、もし酸化還元反応や分解反応で有害物質を発生させる恐れのある物質を全て盛り込むとしたら、果たしてどれだけのリストになるのだろうか。

 一方、県もDOWAハイテックが疑わしいと思いながらも、ほぼ断定するまで1週間かかった。ホルムアルデヒドを生成する物質が数百種類あり、原因が特定できなかったためだ。
(2012年5月26日 読売新聞

朝日新聞の記事を追記。やはり埼玉県はDOWAハイテックに立ち入り、過去と同様の事例を起こしていないか詳細に調べていたようだ。これだけの大事になっているのだから、法令改正の際に議論されるだろう。恐らく、排出事業者の情報開示に細かい規定が設けられるんだろうな。

 また、埼玉県は19日に調査に来て、残っていた廃液を持ち帰ったが、翌20日には高崎市を通じ、「操業を続けて問題はない」という連絡があったとした。念のため、自分たちでも検査を依頼したが、高濃度のホルムアルデヒドは検出されなかったという。
(2012年5月26日 朝日新聞

小池和夫『異体字の世界』(河出文庫)

先日、@yunishio殿と神田神保町を散策した際、小池和夫『異体字の世界』(河出文庫)という本を偶然にも見つけた。河出書房は東洋史や戦略論好きな私にとってさほど重要ではなく、新刊もチェックしないしコーナーにも立ち寄らない、そんな扱いだった。正直興味がわかないのである。ラインアップ的に。

で、神田神保町となると東洋史関係の書物を一堂に会しているため、そういった文庫でも個別に陽の目を見ることができる。それが本書である。

著者はDTP組版の研究者でJIS X 0213規格制定に関わった、漢字研究の第一人者でもある。そもそも異体字とは何か、そういった諸事情を細かく解説してくれる。

結論から言えば、現在のような常用漢字だとか第○水準漢字のような区分けができた理由は、江戸時代までの手書きから明治以降の活版印刷技術の普及、そして漢字を一般庶民に普及させるための標準化・簡便化である。この取り組みは明治初期から現在に至るまで脈々と続いており、GHQの陰謀とかそういうのは全く関係がない。また戸籍管理のためにかくも膨大な漢字を規格として定めている。逆に言えば、正字とか異体字とかの区別はそれ以上の意味がないのである。

こういう異体字とか略字とか正字とかの区別は、一つには康煕字典に定めているというところに求めうるが、実はこれも全てが正確なわけではなく、実用例がないのにむりやり正字にしてしまったり所々の誤りが見受けられる。

本書を読んで面白いのは、現在使われている新漢字というのは正字に対する略字や俗字に属するものが多く、決して現代になって新しく急造したものではないと言うこと。そして中国の簡体字についても事情は同じで、数多くの略字・俗字の中から採用した文字が偶然にも日本と異なっていただけにすぎない。どちらが正しいとか間違っているではない。両方とも昔から元々存在していて、それを国としての常用漢字として採用した文字が違っただけなのである。実は日本の旧漢字にも事情は全く同じである。旧漢字が正しいという理由はなにもない。

ともすると今受けている教育、又は昔の学校教育で習う漢字こそが正しいと錯覚しがちであるが、漢字の世界はそう一意的に決められるものではない。もし近世以前の古典の世界に浸るのであれば、これまで学校教育で習ってきた漢字に関する固定観念を捨てて接するようにしなければならないだろう。

広岡友紀『京浜急行電鉄』(毎日新聞社)

日本の私鉄 京浜急行電鉄

日本の私鉄 京浜急行電鉄

鉄道航空アナリスト、という肩書きの著者による作品。本書である日本の私鉄シリーズ第五作目。過去四作品は西武鉄道、京王電鉄、相模鉄道、小田急電鉄。鉄道に関する著作を多く執筆し、また本書の内容からも造詣の深さを感じ取ることができる(実は凄い人なのかも知れない)。

本書は京急に焦点を当てた著作である。京浜急行電鉄(略して京急)のルーツ、戦前の「大東急」に基づく併合、社史にちらつく西武vs東急のバトル、そして現在運行中の車両技術について等々。車両技術に関する記述が半分、京急の社史に関する部分が半分。併せて200ページ弱の構成である。

京浜急行電鉄という会社については、以下のような特徴を持つ。

 その沿線は東京都港区、品川区、大田区、川崎市、横浜市、横須賀市、三浦市、逗子市に広がり東京湾にほぼ沿う形である。
 沿線の核はターミナルの品川ではなく横浜にある点が通勤通学輸送上の特色であろう。
 横浜のほかでは横須賀中央がひとつの核として存在し、京急線は都市間連絡鉄道(インターバン)としての性格が濃く、この点が関東民鉄の中で京急を特徴づけている。
(「1 京急のプロフィール」p.22)

このように旧市街地を結ぶ京急沿線沿いは多数の住宅(=利用客)を予め有し、ほかの私鉄が沿線沿いの宅地開発を兼ねて発展していたのとは異なる。また、一部区間がJR東海道線と重複することが京急の車両設計思想に深く関わっている。京浜間の路盤不良、短い駅間隔等々は、京急車両にレベルの高い車両性能を要求する。

 品川~横浜間など対照的だ。東海道線ではノッチを入れて時速100キロあたりに速度が達したら、ノッチを切り、後は惰行でかなり長く転がせばよい。曲線上での速度制限もなく、先行列車も相当先にあるから信号はG現示だ。
 京急は曲線も多く、先行列車も近い(普通や急行)。快特が少しでも速く走るためには、制動と力行を小きざみにくりかえす必要がある。そこで車両性能の高さが必要になる。E217形では使い物にならない。
(「3 特徴ある京急の車両技術」p.74)

各鉄道会社にはそれぞれ固有に抱える問題がある。故に、単純に最新技術を単純に導入すれば済むという話ではない。各鉄道会社とも固有の問題意識を抱えながら、それを改善する方向で常に日進月歩の歩みを見せているのであろう。

本書は京急について深く知ることができる一方、用語については基本的に細かい説明はない。技術的用語の細かい説明は他書による他なく、その点だけは残念である。

宮本昌幸『図解 電車のメカニズム』(ブルーバックス)

図解・電車のメカニズム―通勤電車を徹底解剖 (ブルーバックス)

図解・電車のメカニズム―通勤電車を徹底解剖 (ブルーバックス)

前著たる『図解 鉄道の科学』の事実上の続編。本書はサブタイトルである「通勤電車を徹底解剖」とあるように、通勤電車の技術的な側面に特化している。特にモーター、ブレーキ、ATSシステムに関する解説は明らかに前著より充実している。また、一部記事に対して東京地下鉄(株)や小田急電鉄(株)の現役社員の方に原稿執筆を依頼している点も相違である。恐らく民間鉄道会社に関する記述であろう。

一応、前著から独立して読めるように配慮をしており、そうなるように記述も前著と一部重複している。順番的には走行方法や架線等の全体的な技術を前著で読み知ってから、本書に接する方が王道であろう。

しかし気になったことがある。電車がテクノロジーの結晶であることは、前著及び本書を併せ読むことで痛感できるのであるが、一方で現行の技術(執筆当時開発中を含む)で既に鉄道技術に課題はほぼ解決されているような印象を受けるからだ。悪い言い方をすると、鉄道技術者による自画自賛っぽいのである。

こういう鉄道技術関連の本も、単一著者のみではなく、色々な方面からアプローチしていかないといけないかも知れない。

最後、若干気になったことを記したが、基本的には広くお勧めできる本である。

宮本昌幸『図解 鉄道の科学』(ブルーバックス)

こちらのBlogでは、科学系に属する書物の紹介を行う。

今回紹介する書物は『鉄道の科学』と言う書物である。元々はブルーバックスから同名の書物が1980年に出版されていたが、技術の進展もあり、装いも新たに出版したのが本書である。

元々電車は嫌いではなく、気になればニュースやネット記事を閲覧していたが、ちゃんとした鉄道知識は持っていなかった。その為、基礎知識の習得を意図して本書を購入した。

しかし流石はブルーバックス。数式こそ出ていないが、題名の通り科学、と言うよりも物理学の用語が頻出する。高校卒業程度の基礎的な力学及び電磁気学を習ったことがなければ、少々読み通すのは厳しいかも知れない。私は大学生の初学年で力学と電磁気学を履修した程度だが、昔の記憶を辿りながら読み通した次第である。

また、元々国鉄の鉄道技術研究所で勤務して技術研究開発に従事していた経緯から、基本的にJR関係の記述である。私鉄がどのような歩みを見せていたのか、という事については他書に因らねばならぬ。購入を検討されている方は注意されたい。

本書で解説されているところは非常に基礎的で地味である。敷設しているレール、車両のハンドル操作、ブレーキング、架線、走行原理等々。例えば電車の走行はモーターの出力だけではなく、車輪とレールの粘着力に左右される為、モーターのみの改良では速度向上は望めない。またJRは過去の「駅600m手前でブレーキングすること」という規則に基づいて各設備が整備されている為、その規則が改正された現在も当時の設備の為に最高速度制限増加の足枷になっていること。他にも地味ながら走行性、安全性、快適性向上の為に絶えず技術改良を繰り返してきた歴史が窺える。

思わず鉄道の架線一つを眺めても、「此処にあの技術が使われているんだな~」等と楽しめるようになる一冊である。多少の技術的な用語を厭わぬ方には強くお勧めしたい。

無理に更新するのはよくないな、と思う。

差し当たって今年の1月3日頃よりBlogを開始し、今日に至るまで記事を連続投稿してきたがちょっとそれも限界だ。

ネタはなくもないのだが、気力が兎に角続かない。最近はつきあいでの飲み会が続くと、帰ってから漢籍を読もうとはあまり思わぬ。自らの意思で飲む場合はいいが、そうでない場合は話が別だ。飲み会が楽しくないわけではないが。

そんなわけで、ちょっと今日はネタが思いつかない。そして気力も尽きている中で無理矢理更新するのもアレだなーと思うので、連続更新に拘るのは止めようと思う。

もっとも一度そうしてしまうと、更新ペースが極度に落ちて月1回程度になってしまったりする。緊張の箍が外れてしまうと極端な結果になる。

さてどうしたものか。

諸葛亮の軍事能力に関する一般評価

差し当たって諸葛亮の軍事能力に関し、ネット上で色々と意見を拝見することがあるのだが、「正史で諸葛亮の軍事能力は高く評価されていない」とする意見がある。だが、果たして実態はどうなのか。今回は私自身があれこれ論じるのではなく(このBlogで唯の一度も何か論じたことはないような気もする)、実際に史学に携わっていた方がどのように述べるかを紹介する。史料の都合上、私の手元にある本だけで限定したい。

まず岡崎文夫氏は、

端的に考うるところをいうならば、陳寿の評するところ、もっとも精確であると思う。…まず軍政を治め、…いやしくも危険に渉る行動は勉めてこれをさけた。これ時に一場の戦闘に勝機を逸した点があったのであろう。彼の偉大な点は、むしろ失敗してのち、ただちに軍容を整うるに綽然たる余裕を存する点にある。
(『魏晋南北朝通史 内篇』(東洋文庫)p.55)

と述べ、諸葛亮の軍政能力は高く評価すれど、勝機を掴む点では評価がいまいちである。この本は元々昭和七年刊行であるから、当時からこのような諸葛亮評価があったのだろう。また宮崎市定氏も

…蜀という国は先主劉備からの預かり物であって、自分のものではない。したがって有利そうにみえても投機的な戦争に運命をかけるわけにはいかないのだ。…ところが戦争はもともと投機である。彼の正々堂々の軍も、先鋒の将、馬謖の失敗で全体が総崩れとなって、本国へ引き上げなければならなかった(二二八年)。そこで、孔明はもともと戦略家ではないのだ、応変の将略はその長ずるところにあらず、という批評が行われる。確かにその通りであったと思われる。
(『大唐帝国』(中公文庫)p.97)

と述べ、この書は元々昭和四三年に刊行された書籍の文庫版であるが、基本的には岡崎文夫氏と同様の見解である。一方、宮川尚志氏は次のように述べて諸葛亮を弁護する。

その幕下には遺憾ながら三軍を指揮するに足る知略縦横な高級指揮官が見出されなかった。魏延・姜維らはむしろ一軍の司令官に堪えられるくらいであったろう。魏の張郃・呉の呂蒙の如き将才が蜀にあり、孔明を輔けたとしたならば、彼の中原北伐は意外な進展を見せたかも知れなかった。
(『諸葛孔明』(講談社学術文庫)p.234)

本書の文庫化前の初版本は昭和十五年だから、昔から史学の立場では諸葛亮の軍事能力に対する評価は賛否両論だったのであろうな、とは思う。ところがよく見ると、この両方の立場は共に陳寿の見解を土台にしている。まず前者は『三国志』蜀書・諸葛亮伝の最後に陳寿が評している

可謂識治之良才,管、蕭之亞匹矣。然連年動衆,未能成功,蓋應變將略,非其所長歟!

と述べているところであり、つまり政治を治めるにあっては管仲や蕭何に次ぐけれども、毎年軍事行動を起こしながらついぞ成功しなかったのは、応変将略を得意としなかったからだろうか、ということだ。一方で『諸葛氏集目録』を上梓する段階で陳寿は次のように述べる。

又自以為無身之日,則未有能蹈涉中原、抗衡上國者,是以用兵不戢,屢耀其武。然亮才,於治戎為長,奇謀為短,理民之幹,優於將略。而所與對敵,或值人傑,加衆寡不侔,攻守異體,故雖連年動衆,未能有克。昔蕭何薦韓信,管仲舉王子城父,皆忖己之長,未能兼有故也。亮之器能政理,抑亦管、蕭之亞匹也,而時之名將無城父、韓信,故使功業陵遲,大義不及邪?蓋天命有歸,不可以智力爭也。

要するに管仲には王子城父という名将がいて、蕭何には韓信という名将がいたから功業を為したのである。しかし諸葛亮には城父や韓信に匹敵する人材がいないのに、管仲や蕭何に次ぐ才能である諸葛亮はどうして成功することができようか。そりゃ無茶ですよ、と述べているのである。先に挙げた宮川氏の述べるところは此処をそのままなぞらえているように思える。

では、皆が結局陳寿の評価の域を超えないのかといえば、必ずしもそうとは言えない。例えば満田剛氏はその著書の中で、諸葛亮の北伐の意図が隴右支配にあり、且つ魏側もその事態を一番懸念していたことに言及。また北伐のタイミングが偶然か否か災害が起こったタイミングで行われており、また魏も同時に兵糧確保が思ったほど容易ではなかったと指摘する。その上で諸葛亮の陣没の地でもある五丈原進出について以下のように述べる。

五丈原の戦いでの諸葛亮の狙いは“持久戦に持ち込んで魏の兵糧が尽きるのを待ち、五丈原の北を通る街道をおさえて隴右.涼州(シルク・ロード)をおさえながら長安を攻めること”だったと考えられる。…(中略)…この持久戦は諸葛亮にとって乾坤一擲を狙ったものであったとしても、決して博打のようなものではなく、勝利への“計算”をした上での戦略であると考えられる。
(『三国志―正史と小説の狭間―』(白帝社)p.252)

このような感じで、諸葛亮に対する評価は一方的に低い評価が為されているのかといえばそうでもなく、逆に諸葛亮の狙いは高く評価されてもいる。しかし読み手にとって一番重要なのは、確かに人がどのように諸葛亮を評価しているのか気にすることではなく、自らがどのように感じるか、史料を読んでその意見を確立させることにある。好き嫌いを語るだけならどうぞご自由に、という感じであるが、誰かを評価する為には自らその評価対象に対して強い関心を持って史料にあたらねばならぬ。先人達もそうしてきたし、これからもそうである。幸いにも『三國志』の日本語訳は図書館に行けば容易に閲覧可能だろうし、誤植も有るが原典はネット上で閲覧可能である。

そのように思う一方、私個人としては最近は史料とご無沙汰だなぁと思う。たまには諸葛亮伝でも読んでみることにしよう。

マルクス『資本論』メモ

日経BPのマルクス『資本論 第一巻1』を読んでの覚え書き。主に第一章。

マルクスは価値の根本に労働を置いている。その商品を生み出すのに使用した労働力が、その商品の価値となる。マルクスはどの労働者も同じ生産性で作り出した価値が同じであると論述する。

第一章を読む限り、マルクスには人間の価値が平等であるとの思想がある。また前提となっているのは第一次、第二次産業。人間がある一定の環境下で決まり切った生産行動をして生み出す商品を考慮に置いている。しかし、サービス産業などの第三次産業はどうなのか。頭脳労働はどうか。抽象化された人間性ではなくて、具体的な個性を持った人間が意味を持つのではないか。マルクスの『資本論』もまた、時代の産物であろうか。

以降、こういった疑問点を念頭に置きながら読み進めることにする。