pomeraと電子書籍専用端末

昨日の記事で言及したかったのだが、話の流れの都合で言及できなかったので、別の記事として書いてみたい。

文房具に限らず、電子文具(pomera)とか電子書籍とかの類も好きで、帰りがけの電器量販店で色々と見て回っている。しかし、最近はpomeraや電子書籍の専用端末を利用する機会がめっきりと減った。今回はその辺のことを書こうと思う。

まずpomeraから。pomeraを購入したのは今から2年前のこと。ちょうどAndroidタブレットが流行りだした頃で、当時の私もAndroidタブレットとpomeraの両方を購入している。Android機はタブレットに対する興味とノートパソコンの代わりになるかも知れないという期待を込めて購入していたものだ。しかしながら、私が購入したタブレットは持ち運びに重く、嵩張るのでいつでも持ち歩くわけにも行かず、結局pomeraを活用することになったのである。また、当時は業務上、議事録作成としてpomeraを活用していたし、ブログ記事もpomeraで下書きしていたから活用の幅は広かったと言っても良い。

最近になってpomeraの活用が減ったのは以下二つの理由からだ。一つが外出時に単純な記録係としての役割が減って、実際に話をする主体となることが多くなったことだ。当然、記録は持参した紙資料へのメモで断片的になるし、足りない分は音声記録でカバーした。そして最終的にはそれら記録を持って会社で清書することになる。もう一つがそもそもブログを書かなくなってTwitterメインになり、pomeraを使用するまでもないレベルの文章しか作成しなかったこと。

また、pomera(DM20)は日本語変換機能が少々残念で、一般的な文章ならいざ知らず、歴史とか仕事上の文章だと変換に困ることも少なくなかった。結果、2013年末に購入した8インチのWindowsタブレットとBluetoothキーボードの組み合わせが日本語変換機能の上でも、その他汎用性でも便利であり、しかもWindowsタブレットは浪費さえしなければ電池寿命もそれなりにあるのでpomeraを敢えて持ち出す必要はなくなったのである。

次ぎに電子書籍である。厳密に言えば今でも電子書籍は読んでいるが、読んでいるのはスマホかタブレットを介してであり、専用端末を使用して読むことは殆ど無い。何故なら専用端末は不便だからである。

何が不満かと言えば、購入した電子書籍サイト毎に使用できる端末が異なるからである。booklive!で購入した電子書籍はsony readerで読むことはできないし、Kindleを筆頭にそれ以外の端末でも同様である。しかしながら、読みたい本のラインナップはどこの電子書籍サイトでも同じもの……というわけではなく、サイト毎に微妙に異なっている。よって、読みたい本を電子で読みたい場合は複数の電子書籍サイトを利用する結果となり、その為に別々の専用端末を用意するのはとても面倒で賢いとも言えない。ましてや、同じタイトルの本を別の電子書籍サイトで複数購入することはお金の無駄であるから、やりたくない。結果、一つの端末で済むスマホやタブレットを介した電子書籍利用に落ち着くのである。電子書籍は今後も生きるだろうが、現状のような囲い込みを企図した専用端末のあり方では不便すぎて誰も買わないだろうなぁ、と思う次第なのである。

瞬間的には魅力的な電子文具だが、何だかんだでスマホやタブレットのような汎用機に回帰せざるを得ないというのは、何とも寂しい気持ちにさせられる。ま、用途あっての文具であるから、世相と個人的環境により必要とされるものが変わるのは仕方無いのかも知れない。

万年筆その後

 文具が好きである。電子文具もアナログな文具もみんな好きで、買いこそしないが見ていて楽しいのである。一般人レベルでのパソコンの時代の到来を告げるWindows 95が発売された頃はまだ小学生高学年で、その前後では父親が仕事でワープロを使用していたからアナログな世界は学校の中だけに存在した。小学生の頃の文房具なんて、DQのバトル鉛筆を購入して転がして遊んだり、定規をペンではじき飛ばして相手の定規を机の外に落としたり、イライラしたときは鉛筆を囓ったり折ったりするなど、せいぜいその程度の存在であった(少なくとも私の地元では)。

 文房具に対して強い興味を覚えたのは大学の研究室に入ってからで、趣味としての文具の世界を知ったからである。当時、私の所属していたグループでは万年筆を持っている人が数名居り、面白そうだなぁと眺めていたのを覚えている。ただし記憶が正しければ、大学時代に興味は持ったけれども実際に買うには至っていない。理由は単純で、万年筆は高級筆記具であり、そこにまでお金を投じる余裕なんてなかったからである。もしかしたら買ったかも知れないが、だとしても記憶に残らない程度の印象・値段である。

 そういう訳で、実際に文具関係に手を出したのは社会人になってからで、自分で稼いだお金を自分で使えるようになってからである。その辺は前の記事に細かく書いたので差し置くが、最近になって(それでも購入したのは2013年3月頃である)金ペンの万年筆も購入した。先のCoCoonと同じPILOT製のCustom 74である。ただし私の場合は左利きであるという個人特有の難点があって、普通に書くと文字を押したり巻き込んだりする為に中字のペン先なのに文字が掠れてしまう。ネットでは持ち方を工夫して万年筆本来の書き味を引き出す方法もあるのだが、この書き方はかなり修練を必要とする上、普段使っているのは万年筆だけではないので変な癖が付いても困る。結果、自然と筆圧をやや強めにしてペン先に負荷を与えて書くスタンスに落ち着いていた。

 長い前書きになったが、ここからが本題。実は世の中には左利き用の万年筆というのが存在していて、一つはSAILORのプロフィット21レフティという代物で、約2万円。基本は細字であり、それ以外のペン先だと特注品で1ヶ月近くの時間を有するという。もう一つは伊東屋で保管してたPILOTの現在絶版の左利き用万年筆で各種ペン先のサイズがあって3万円。いずれも力を入れずにスラスラ書けて感動的だった。しかしながらお値段を考えると買うには迷うし、買ったら確実にCustom 74を使わなくなるしで悩ましい時間が続いた。

 そんな悩みを抱えていた或る日、ラゾーナ川崎の丸善にてPILOTのペンドクターがペンクリニックを開催するとの情報があった。私の左利き特有の悩みも解決してくれるかも知れない、という期待があった。何しろ、売れないにしろ左利き用の万年筆が既製品で登場するのである。幾らかお金を払えば調整できるだろうと期待した。相談した結果、ペン先のインクフローの状態を少し弄っただけで書き味が劇的に向上。全く力を入れなくても掠れずに文字を書けるようになった。しかもお値段はタダ。PILOTさん、流石です。
PILOT ペンクリニック

 CoCoonでの万年筆デビュー以来、やはり私はPILOTの万年筆に縁があるみたいで、今後も引き続きPILOTさんには万年筆事業を頑張って欲しいものである。

班固『白虎通』巻一 號 (2)

久しぶりの投稿になります。間が空きすぎて漢文のルールを忘れかけていますが、取り敢えず今回は『白虎通』第一巻の号の解説箇所の第二段落を見ていきたいと思います。

或稱天子,或稱帝王何?以為接上稱天子者,明以爵事天也。接下稱帝王者,明位號天下至尊之稱,以號令臣下也。故《尚書》曰:帝曰「諮四岳」。王曰「格汝眾」。或有一人。王者自謂一人者,謙也。欲言己材能當一人耳。故《論語》曰:「百姓有過,在予一人。」臣下謂之一人何?亦所以尊王者也。以天下之大、四海之內,所共尊者一人耳。故《尚書》曰:「不施予一人。」或稱朕何?亦王者之謙也。朕,我也。或稱予者,予亦我也。不以尊稱自也,但自我皆謙。

これを書き下すと、ちょっと久方ぶりなので不慣れですが、以下の通りになります。

或いは天子を称し、或いは帝王を称するのは何ぞや?おもえらく上に接し天子を称するは、爵を以て天に事うるを明らかにするなり。下に接し帝王を称するは、天下至尊の称を号し、以て臣下に号令する位を明らかにするなり。故に『尚書』曰く、帝曰く「四岳に諮れ」。王曰く「汝の衆を格せ」。或いは一人を称す。王者自ら一人を称するは、謙なり。己材よく一人当たらんと言うを欲するのみ。故に『論語』に曰く、「百姓に過有るは、予一人に在り」。臣下、之の一人を言うは何ぞや?亦た王者を尊する所以なり。天下の大、四海の内を以て、共に尊する者は一人をするところのみ。故に『尚書』曰く「予一人に施さざる」。或いは朕を称するは何ぞや?亦た王者の謙なり。朕、我なり。或いは予と称するは、予亦た我なり。尊を以て自らを称さざるなり。但、自我皆謙とす。

最初の問いは天子と帝王の違いについて。『白虎通』では天子を称するのは天に仕えていることを示すためであり、帝王を称するのは臣民のトップであることを明示して天下に号令をかけるためであると解説しています。

帝が諮るべき四岳が何かということですが、この四岳は山岳のことではありません。『尚書』堯典篇の注疏を見れば分かりますが、四方を司る諸侯のことで帝王を補佐するために儲けられました。また「汝の衆を格せ」は原文だと「汝の衆を裕せよ」となりますが、『白虎通疏証』著者の陳立は、『尚書』盤庚篇にて「格汝眾」の表現があり、格と裕は韻も声も同じなので誤ったのではないかという推測をしています。尚、『尚書』盤庚篇に於ける「格」の意味ですが、『爾雅』釈言篇の解説に拠れば「来たる」という意味になるようです(参照:孫星衍『尚書今古文注疏』)。「汝の衆、来たる」だけでは意味が分からないのですが、この『尚書』盤庚篇全体が盤庚による民衆の教化に関する話になっていますので、総合的には民衆を教化するニュアンスで捉えておけば良いのかな、と。

皇帝の使う自称である一人、朕、予は謙遜表現です。特に天子が「予一人」と称する時は「私は人であって余人と異なるところがない」を意味すると『尚書正義』に記されています。本来、天子は天の代理者という名目がありますから、その代理者が「人」を称すること自体、謙遜した表現になると言うことです。また「朕」が皇帝専用の自称になったのは秦漢の時代以後で、それ以前は貴賎の区別無く「朕」を自称に用いました。具体例では帝堯や帝舜といった五帝、春秋戦国時代の屈原などが「朕」を自称として用いています。

『白虎通』を読むことは『尚書』を読むことに通じますので、何とも神経を使います。特に『尚書』なんて注釈だらけなので、いま上述したことが正しいのかどうかすら、怪しい。間違っている点はどうぞ、遠慮無くご指摘ください。

パズドラをプレイしてます

TwitterのFollowerさんの中で「puzzle & dragon」というアプリををプレイしている方が結構いたりするので、最近になって私も始めている。ゲームの詳細は各種wikiや紹介記事に譲るとして、今の私の状況がどんなことになっているのかご紹介しよう。

 
そんなわけで、以下はゲームに興味ない人にとって面白くない記述が続くので、回れ右奨励。

万年筆購入

最近、万年筆に興味を持つようになった。その遠因は先月に大学時代の先輩と一緒に行った来年の手帳探し、又は同じような時期に訪問した文房具カフェに求めることができる。

実は何年か前にも万年筆に興味を持ってOHTOのF-Lapaを購入したのだが、あまり文字を書き残す習慣はなかったことから最終的に使わず終いで万年筆そのものも紛失してしまった。今思うと少し勿体ない気もする。その間、私は世の中に出回っている電子文具を試し、pomeraなど一部は購入したし、スマホやタブレット、ノートパソコン、後はいくつかのSNSやクラウドサービスも利用。ともすればアナクロな物など不要と言わんばかりの環境になっている。一方、手帳は手書きで整理していたりして、必ずしも完全に手書きの機会はなくなっていない。

今回、新しく購入したのはPILOTのコクーン。万年筆の特性上、左利きにとって万年筆は扱いづらい代物という話もあったりするが、丸善の文具店で目立つ位置にあり、試し書きをして引っ掛かり無く書くことができ、デザインがシンプルで好みであり、しかも高くない(←重要)。そういった理由により購入に至った。

以後、比較のためにPLATINUMのプレピープレジール、それと無印良品のアルミ丸軸万年筆を購入した。感想としては、プレピーは見た目が凄く安っぽく、紙に引っ掛かる感覚があり、またインクが掠れたり逆に大量に出てくる等イマイチ出力が安定しない。200円という破格の値段を考えれば仕方無いことなのかも知れないが、長く使おうとしたときにインクによるイライラは軽い問題では済まされない。また、プレジールはそれ以外の万年筆全てが細字(F)なので敢えて中字(M)を購入したが、それが幸いしたのか、インクは比較的安定して出ているし、持ち方次第では力むことなく文字を書くことができる。ただこれも、ペンの持ち方を極めて制限するので、その点は常に注意を払わねばならぬ。無印良品は見た目もシンプルで価格も安いが、何も書き味とかで主だった不満はなく、1000円少々で入手できるのであれば御の字である。ただ、長時間持っているとアルミのグリップが少し辛いかも知れない。こればっかりは長時間連続使用してみないとわからない。

それとこれは完全に好みの問題だが、PLATINUMのカートリッジインクは全般的に水彩のような雰囲気があって、硬質な文章を書くときにはえらく不向きであるように思う。逆にふんわりとした(?)文章を書くときには面白いかも知れないが。コンバーターでも取り付けてPLATINUM純正の好みの色を探すしかないだろうけど、果たして200円とか1000円の万年筆でやることなのかと考えると少し躊躇する。ネットを検索すると、やっている人も居るみたいだけど。

いずれにせよ、常用する万年筆を選ぶとすれば手持ちの中ではコクーン一択。無印良品の万年筆は黒いインクなので、会社に置いておいて使い潰すのが正しい利用法だろう。もっともこの無印良品の万年筆はOHTOによるOEM生産で、インクは欧州共通規格だったりするから限りなく汎用的だったりするのだけれども。

班固『白虎通』巻一 號 (1)

帝王者何?號也。號者,功之表也。所以表功明德,號令臣下者也。德合天地者稱帝,仁義合者稱王,別優劣也。《禮記謚法》曰:「德象天地稱帝,仁義所生稱王。」帝者天號,王者五行之稱也。皇者何謂也?亦號也。皇,君也,美也,大也。天人之總,美大稱也。時質,故總稱之也。號言為帝何?帝者,諦也。象可承也。王者,往也。天下所歸往。《鉤命決》曰:「三皇步,五帝趨,三王馳,五伯騖。」號之為皇者,煌煌人莫違也。煩一夫,擾一士,以勞天下,不為皇也。不擾匹夫匹婦,故為皇。故黃金棄于山,珠玉捐于淵,巖居穴處,衣皮毛,飲泉液,吮露英,虛無寥廓,與天地通靈也。

帝王とは何でしょうね?というお話。「号」とは何なのかについて、この段落では解説している。全部で五段落、其の中の最初の部分を取り敢えず書き下してみる。尚、例によって本文は陳立『白虎通疏証』(中華書局)に拠った。細かいことを言うと色々大変だけど。とりあえず、さっくり書き下してみる。厳密な書き下しは誰か別な人やってください。

帝王は何ぞや?号なり。号は、功の表れなり。功を表し徳を明らかにし、臣下に号令する者の所以なり。徳が天地に合する者は帝を称し、仁義合する者は王を称し、優劣を別つなり。『礼記』謚法編に曰く、「徳は天地を象りて帝を称し、仁義の生ずるところ王を称す。」帝は天号、王は五行の称なり。皇は何の謂いか?また号なり。皇、君なり、美なり、大なり。天人の総、美大の称なり。時質す、故に之を総称するなり。号が帝を為すと言うは何ぞや?帝は、諦なり。象を承くべきなり。王は、往なり。天下の帰往するところ。『鉤命決』に曰く、「三帝歩き、五帝趨り、三王馳せ、五伯騖す。」号の皇を為すは、煌々と人違うなきなり。一夫を煩らい、一士を擾らい、以て天下を労するは、皇と為さざるなり。匹夫匹婦を擾わず、故に皇と為る。故に黄金を山に棄て、珠玉を淵に捐て、穴処に厳居し、皮毛を衣、泉液を飲み、露英を吮い、虚無寥廓、天地と霊を通ずるなり。

というわけで、結局分かったような分かんないような感じなんですが、そもそも「号」とは功績を称えたり、その人の徳を明らかにする為の代物であるということ。そしてその人の徳が天地と適合していれば「帝」であるし、仁義を持ち合わせていれば「王」であると。徳が天地に合する、とは何とも判然としないですが、自然のあるべき姿に合致しているというか、儒教の徳目をそのまま体現しているとか、そういう感じの意味なんだと思います。だから帝は諦、つまり天のあるがままを体現するんだ・・・見たいな話になっていくのでしょう。

次ぎに「皇」ですが、これも号だと『白虎通』では記しています。「君」「美」「大」とか色々言ってますが、その続きを読む限り人格者のことでしょう。自らが治める対象である庶民や士について「めんどくせぇ」とか思いながら苦労して天下を収めているようでは、「皇」たる資格がないと。そういう些末なこと、面倒なことを面倒と思わないようであってこそ、「皇」なのだと。多分、私なんか一生、「皇」の有資格者になれそうもありません。

で、最後は色々言ってますが、質素倹約ですね。黄金は山に棄て、宝石は河に放り投げ、粗末な住居と衣服、飲食も贅沢しないし、家具も余計なものを置かない。これが天地と霊を通じる方法なのだと説くわけです。

そんなわけで、これに適合する人はあまり見たことないんですが、後漢末から三国時代の武将が死後「家には何も財産がなかった」みたいな記述になっているのは、この辺の考え方があるんだろうなぁ、とか思ったりします。

今回はいつもと違って、自分なりの解釈をかなり入れてしまいましたけど・・・次回はまた気が向いたら。読者諸兄の御指摘御指南、宜しくお願いします。

 

魏晋南北史研究会 第14回大会

去る9月15日(土)、午後から魏晋南北史研究会の第14回大会が開催された。その先週及び先々週は三国志学会関連であったが、三国志学会の大会や講演会は視点が一般人に向いているのに対し、この魏晋南北史研究会は専門家が相手の大会である。当然、一般人の参加者はごく少数に限られている。

さて、今回の発表は2件。1件目は福原啓郎先生の発表で、「西晋の張朗墓誌の総合的研究を目指して」というもの。墓誌が研究に選ばれる理由は幾つかあるのだが、一つは墓の中にあって風に晒されておらず保存状態が比較的良好であること。曰く、文献資料と近似性がある、と。また量的な問題もあって、魏晋期以前は墓誌碑の数は非常に限られているが、逆にこの時代より先になってしまうと量が膨大になる。よって、研究するには魏晋期の方がちょうど良いそうだ。決して三国志が好きで魏晋期を選択したわけではないらしい。

魏晋期の墓誌碑には大きく二つにジャンル分けされ、一つは張朗のような無名人のもの、もう一つが荀岳のような有名人のものだ。墓誌碑の形など、その違いは重層的に想定される為、数々の特徴をピックアップして比較検討する必要があると福原先生は述べていた。

例えば文字量が碑陽、碑陰併せて400文字あるがこれは多い部類に入る。そして夫婦合葬、嫡子が居るのに墓誌が作られている(魏晋期における墓誌は通常、嫡子が居ない場合に作成される)等々。記載も張朗が無官であったことから、儒教的な徳目での良さをつらつらと記載している(通常は出世や功績を記す)。

最後に、福原先生は近年出土のものは偽物の墓誌が多いと述べていた。よく見れば偽物にも特徴が有るらしいのだが、その知見は是非とも記録として残して欲しいと思う。例えば偽物の石刻資料だけを集めて個別に全部批判し、一冊の本にするとか。

二つ目は窪添慶文先生の「北朝における弘農楊氏ー楊播一族を中心に」という発表。隋唐時代になると楊氏の墓誌が大量に出てくるが、北朝時代はそうでもない。特徴として、漢人貴族ではあるが武名で名を挙げていること、そして弘農楊氏として華陰を本貫としているが、実際には北朝時代の弘農楊氏は華陰との繋がりが強くないことだった。

弘農楊氏、と言えば真っ先に三国時代に活躍した楊脩の一族を想像してしまうのだが、そこから北朝までの流れはどうなのだろうか。そういえば楊脩以後、よく分かっていないように思う(実は北朝の弘農楊氏から隋代の楊素に至る過程もハッキリと分からないらしい)。

氣賀澤先生と窪添先生との質疑のやりとりを聞いて、この分野もまだ未解決なところが多いのだろうな…と実感した次第。しかし、だからといって豊富な石刻資料の中には偽物もあったりして、私のような素人には手を出しにくい分野に相違ないだろう。

 

喪の最中に何かがあった場合。

喪に服する時は「喪に臨みて笑わず」とか色々と哀悼の意を表して謹んで生活をするわけだが、喪の最中にトラブルがあった場合はどうやら例外措置があったようだ。『禮記』曲禮編上には次のような記載がある。

「居喪の禮、頭に創有れば則ち沐し、身に瘍有れば則ち浴し、疾有れば則ち酒を飲み肉を食らい、疾止めば初めに復す。喪に勝たざるは、乃ち不慈不孝に比するなり。」

だから幾ら喪に服しているからといって、自分自身の身体を駄目にしてしまっては、生んで育ててくれた親に申し訳がないし、倒れて祭祀が行えないとなると祖先に対しても申し訳が立たない。だからこういう例外規定がちゃんと設けられているのであろう。

古代の礼制も決して杓子定規の世界ではないのである。みんな、『禮記』の記載通りにちゃんと守っていたかどうかまでは分かりませんけども(笑)

班固『白虎通』巻六 耕桑

思い出したかのように再開してみる。

王者所以親耕,后親桑何?以率天下農蠶也。天子親耕以供郊廟之祭,后親桑以供祭服。《祭義》曰:「天子三推,三公五推,卿大夫七推。」耕於東郊何?東方少陽,農事始起。桑於西郊?西方少陰,女功所成。故《曾子問》曰:「天子耕東田而三反之。」《周官》曰:「后親桑,率外内婦蠶於北郊。」《禮祭義》曰:「古者天子諸侯,必有公桑蠶室,近外水為之,築周棘牆,而外閉之者也。」

久しぶりなので合っているかわからないが、これを書き下すと次のようになる。

王者が耕に親しみ、后が桑に親しむ所以は何ぞや?天下の農蚕を率いるを以てする也。天子は耕に親しみ以て郊廟の祭に供え、后は桑に親しみ以て祭服に供うる。『祭義』に曰く「天子三推、三公五推、卿大夫七推。」東郊に耕するのは何ぞや?東方は少陽、農事は始め起こる。西郊に桑するのは何ぞや?西方は少陰、女の功が成ずる所たり。故に『曾子問』に曰く「天子は東田を耕し、而して之を三反とす。」『周官』に曰く「后は桑に親しみ、外内の婦を率いて北郊に蚕す。」『礼書』祭義編に曰く「古は天子諸侯、必ずや公の桑蚕室有り、外水の近は之が為なり。周りに棘牆を築き、而して外閉の者也。」

天子の祭礼として、天子が田を耕し、后が桑蚕して服を作成して天に供えるというものがある。どうしてそのような祭礼があるのかというと、国家の根幹たる農業を天子が司り、無事に農業に励むことができるように…との意味合いが込められているのであろう。よって、昔の宮殿には蚕を飼うための部屋が設けられていたし、近くに川があるところを選ぶのは祭礼で田を耕すためなのである。

そうすると、必然的に宮殿の敷地内がどのような仕組みか大変興味深いが、これは『三輔黄図』を参照するのが一番適しているのかも知れない。それについては追って調べたいと思う。

まぁ、取り敢えず今日はこの辺で。

福原啓郎『魏晋政治社会史研究』(京都大学学術出版会)

魏晉政治社会史研究 (東洋史研究叢刊)

魏晉政治社会史研究 (東洋史研究叢刊)

魏晋期における政治史及び社会史に関する論考。恐らく同氏の著書『西晋の武帝 司馬炎』(白帝社)で名前を知っている人も多いと思うが、基本的な方向性は同じである。但し本書は学術書である為、先行研究に対する言及や注釈が豊富である(それだけではないけども)。目次等に関しては三国志ニュースさんで言及されているので全体的な紹介や論評はお任せすることにして、特に興味を持った箇所だけ言及する。

まず本書の概略に関しては、序論と結語の部分を読み通せば分かるように構成されている。また、図解は基本的に少ないものの、石刻資料(第四章)や墓誌(第十一章)には比較的多く図面が載っている。第九章の『銭神論』や第十章の『釈時論』に関しても主要な逸文に関する原文と全訳を載せているので、後で参照するのに役立つ。

そして個人的にもっとも興味を持ったのが、第五章「八王の乱の本質」及び第六章「西晋代宗室諸王の特質」である。この箇所は西晋時代の八王の乱に関して、従来研究では宗室の諸王が自らの欲するままにクーデターを繰り返したと見られがちであるが、それに対して貴族制の観点から一定の方向性を見出そうとするものである。そして著者がそのキーワードとして摘出したのが「輿論」の存在である。著者は言及する(赤字は拙による)。

この府主と幕僚の関係を考察してみると、そもそも府主に辟召されて幕僚となっていた士大夫は、府主が自らに人心を繋ぎ留めるために辟召した人物、すなわち輿論の期待を担っている人物であり、逆に言うならば、輿論を導く立場にある人物であり、それ故に幕僚の府主に対する批判は、輿論の具体的な代弁である。
(p.174:第五章第二節 輿論について)

このように宗室諸王は開府することにより、軍府の属僚および管内の郡県の長官の任免権を掌握していたのである。ではすべて宗室諸王の恣意によるかといえばそうではなく何かに規制されている。その規制するものが士大夫の輿論であり、逆に言うならば輿論で支持された人物こそその軍府内の僚属となるのである。・・・(中略)・・・こうして府主である宗室諸王は辟召した士大夫(すなわち貴族)を通して具体的に輿論と結びつくのである。
(p.214:第六章第二節 宗室諸王と士大夫)

突きつめれば、宗室諸王と輿論の存在とその結合が詔敕の代替となったといえよう。そしてこうしたありかたこそ逆に詔敕などに現われた皇帝の権威を生ぜしむる由来を示唆するのではないか。・・・(中略)・・・つまり魏晋国家体制は図式的には軍隊と輿論の結合であり、その両者を結ぶ接点として皇帝が存在するのであり、皇帝の権威はその背景に両者により支えられており、そこから生じているのである。
(p.222:第六章第三節 宗室諸王の権威)

 

上述するように、皇帝の権威が軍権及び輿望を担う士大夫層の支持から構成されていると著者は結論づける。八王の乱の前半で矯詔によるクーデターが、後半で詔勅に因らない義起が可能であったのも軍権と士大夫層による支持があったからであり、これがなければ皇帝と雖も自由に権力が振る舞えなかったということである。

ただ個人的な贅沢を言えば、この輿論を構成する士大夫層が如何なるものであるかについてもう一歩踏み込んだ言及が欲しいように思えた。それは果たして川勝義雄『六朝貴族制社会の研究』(岩波書店)で言及するような「郷論環節の重層構造」に由来するものなのか、それとも渡邉義浩『三国政権の構造と「名士」』(汲古書院)で言及するような文化価値によるものなのか、それともそれらとは別の見方によるものなのか。系譜的に川勝義雄氏の説をベースにしていると勝手に想像しているが、ひょっとすると私が見落としているだけかも知れない。

三国時代というよりは魏末~西晋に掛けての言及が殆どであるから、三国時代末期に興味のある人は購入を検討しても良いのではないだろうか。