広岡友紀『京浜急行電鉄』(毎日新聞社)

日本の私鉄 京浜急行電鉄

日本の私鉄 京浜急行電鉄

鉄道航空アナリスト、という肩書きの著者による作品。本書である日本の私鉄シリーズ第五作目。過去四作品は西武鉄道、京王電鉄、相模鉄道、小田急電鉄。鉄道に関する著作を多く執筆し、また本書の内容からも造詣の深さを感じ取ることができる(実は凄い人なのかも知れない)。

本書は京急に焦点を当てた著作である。京浜急行電鉄(略して京急)のルーツ、戦前の「大東急」に基づく併合、社史にちらつく西武vs東急のバトル、そして現在運行中の車両技術について等々。車両技術に関する記述が半分、京急の社史に関する部分が半分。併せて200ページ弱の構成である。

京浜急行電鉄という会社については、以下のような特徴を持つ。

 その沿線は東京都港区、品川区、大田区、川崎市、横浜市、横須賀市、三浦市、逗子市に広がり東京湾にほぼ沿う形である。
 沿線の核はターミナルの品川ではなく横浜にある点が通勤通学輸送上の特色であろう。
 横浜のほかでは横須賀中央がひとつの核として存在し、京急線は都市間連絡鉄道(インターバン)としての性格が濃く、この点が関東民鉄の中で京急を特徴づけている。
(「1 京急のプロフィール」p.22)

このように旧市街地を結ぶ京急沿線沿いは多数の住宅(=利用客)を予め有し、ほかの私鉄が沿線沿いの宅地開発を兼ねて発展していたのとは異なる。また、一部区間がJR東海道線と重複することが京急の車両設計思想に深く関わっている。京浜間の路盤不良、短い駅間隔等々は、京急車両にレベルの高い車両性能を要求する。

 品川~横浜間など対照的だ。東海道線ではノッチを入れて時速100キロあたりに速度が達したら、ノッチを切り、後は惰行でかなり長く転がせばよい。曲線上での速度制限もなく、先行列車も相当先にあるから信号はG現示だ。
 京急は曲線も多く、先行列車も近い(普通や急行)。快特が少しでも速く走るためには、制動と力行を小きざみにくりかえす必要がある。そこで車両性能の高さが必要になる。E217形では使い物にならない。
(「3 特徴ある京急の車両技術」p.74)

各鉄道会社にはそれぞれ固有に抱える問題がある。故に、単純に最新技術を単純に導入すれば済むという話ではない。各鉄道会社とも固有の問題意識を抱えながら、それを改善する方向で常に日進月歩の歩みを見せているのであろう。

本書は京急について深く知ることができる一方、用語については基本的に細かい説明はない。技術的用語の細かい説明は他書による他なく、その点だけは残念である。

宮本昌幸『図解 電車のメカニズム』(ブルーバックス)

図解・電車のメカニズム―通勤電車を徹底解剖 (ブルーバックス)

図解・電車のメカニズム―通勤電車を徹底解剖 (ブルーバックス)

前著たる『図解 鉄道の科学』の事実上の続編。本書はサブタイトルである「通勤電車を徹底解剖」とあるように、通勤電車の技術的な側面に特化している。特にモーター、ブレーキ、ATSシステムに関する解説は明らかに前著より充実している。また、一部記事に対して東京地下鉄(株)や小田急電鉄(株)の現役社員の方に原稿執筆を依頼している点も相違である。恐らく民間鉄道会社に関する記述であろう。

一応、前著から独立して読めるように配慮をしており、そうなるように記述も前著と一部重複している。順番的には走行方法や架線等の全体的な技術を前著で読み知ってから、本書に接する方が王道であろう。

しかし気になったことがある。電車がテクノロジーの結晶であることは、前著及び本書を併せ読むことで痛感できるのであるが、一方で現行の技術(執筆当時開発中を含む)で既に鉄道技術に課題はほぼ解決されているような印象を受けるからだ。悪い言い方をすると、鉄道技術者による自画自賛っぽいのである。

こういう鉄道技術関連の本も、単一著者のみではなく、色々な方面からアプローチしていかないといけないかも知れない。

最後、若干気になったことを記したが、基本的には広くお勧めできる本である。

宮本昌幸『図解 鉄道の科学』(ブルーバックス)

こちらのBlogでは、科学系に属する書物の紹介を行う。

今回紹介する書物は『鉄道の科学』と言う書物である。元々はブルーバックスから同名の書物が1980年に出版されていたが、技術の進展もあり、装いも新たに出版したのが本書である。

元々電車は嫌いではなく、気になればニュースやネット記事を閲覧していたが、ちゃんとした鉄道知識は持っていなかった。その為、基礎知識の習得を意図して本書を購入した。

しかし流石はブルーバックス。数式こそ出ていないが、題名の通り科学、と言うよりも物理学の用語が頻出する。高校卒業程度の基礎的な力学及び電磁気学を習ったことがなければ、少々読み通すのは厳しいかも知れない。私は大学生の初学年で力学と電磁気学を履修した程度だが、昔の記憶を辿りながら読み通した次第である。

また、元々国鉄の鉄道技術研究所で勤務して技術研究開発に従事していた経緯から、基本的にJR関係の記述である。私鉄がどのような歩みを見せていたのか、という事については他書に因らねばならぬ。購入を検討されている方は注意されたい。

本書で解説されているところは非常に基礎的で地味である。敷設しているレール、車両のハンドル操作、ブレーキング、架線、走行原理等々。例えば電車の走行はモーターの出力だけではなく、車輪とレールの粘着力に左右される為、モーターのみの改良では速度向上は望めない。またJRは過去の「駅600m手前でブレーキングすること」という規則に基づいて各設備が整備されている為、その規則が改正された現在も当時の設備の為に最高速度制限増加の足枷になっていること。他にも地味ながら走行性、安全性、快適性向上の為に絶えず技術改良を繰り返してきた歴史が窺える。

思わず鉄道の架線一つを眺めても、「此処にあの技術が使われているんだな~」等と楽しめるようになる一冊である。多少の技術的な用語を厭わぬ方には強くお勧めしたい。

無理に更新するのはよくないな、と思う。

差し当たって今年の1月3日頃よりBlogを開始し、今日に至るまで記事を連続投稿してきたがちょっとそれも限界だ。

ネタはなくもないのだが、気力が兎に角続かない。最近はつきあいでの飲み会が続くと、帰ってから漢籍を読もうとはあまり思わぬ。自らの意思で飲む場合はいいが、そうでない場合は話が別だ。飲み会が楽しくないわけではないが。

そんなわけで、ちょっと今日はネタが思いつかない。そして気力も尽きている中で無理矢理更新するのもアレだなーと思うので、連続更新に拘るのは止めようと思う。

もっとも一度そうしてしまうと、更新ペースが極度に落ちて月1回程度になってしまったりする。緊張の箍が外れてしまうと極端な結果になる。

さてどうしたものか。

諸葛亮の軍事能力に関する一般評価

差し当たって諸葛亮の軍事能力に関し、ネット上で色々と意見を拝見することがあるのだが、「正史で諸葛亮の軍事能力は高く評価されていない」とする意見がある。だが、果たして実態はどうなのか。今回は私自身があれこれ論じるのではなく(このBlogで唯の一度も何か論じたことはないような気もする)、実際に史学に携わっていた方がどのように述べるかを紹介する。史料の都合上、私の手元にある本だけで限定したい。

まず岡崎文夫氏は、

端的に考うるところをいうならば、陳寿の評するところ、もっとも精確であると思う。…まず軍政を治め、…いやしくも危険に渉る行動は勉めてこれをさけた。これ時に一場の戦闘に勝機を逸した点があったのであろう。彼の偉大な点は、むしろ失敗してのち、ただちに軍容を整うるに綽然たる余裕を存する点にある。
(『魏晋南北朝通史 内篇』(東洋文庫)p.55)

と述べ、諸葛亮の軍政能力は高く評価すれど、勝機を掴む点では評価がいまいちである。この本は元々昭和七年刊行であるから、当時からこのような諸葛亮評価があったのだろう。また宮崎市定氏も

…蜀という国は先主劉備からの預かり物であって、自分のものではない。したがって有利そうにみえても投機的な戦争に運命をかけるわけにはいかないのだ。…ところが戦争はもともと投機である。彼の正々堂々の軍も、先鋒の将、馬謖の失敗で全体が総崩れとなって、本国へ引き上げなければならなかった(二二八年)。そこで、孔明はもともと戦略家ではないのだ、応変の将略はその長ずるところにあらず、という批評が行われる。確かにその通りであったと思われる。
(『大唐帝国』(中公文庫)p.97)

と述べ、この書は元々昭和四三年に刊行された書籍の文庫版であるが、基本的には岡崎文夫氏と同様の見解である。一方、宮川尚志氏は次のように述べて諸葛亮を弁護する。

その幕下には遺憾ながら三軍を指揮するに足る知略縦横な高級指揮官が見出されなかった。魏延・姜維らはむしろ一軍の司令官に堪えられるくらいであったろう。魏の張郃・呉の呂蒙の如き将才が蜀にあり、孔明を輔けたとしたならば、彼の中原北伐は意外な進展を見せたかも知れなかった。
(『諸葛孔明』(講談社学術文庫)p.234)

本書の文庫化前の初版本は昭和十五年だから、昔から史学の立場では諸葛亮の軍事能力に対する評価は賛否両論だったのであろうな、とは思う。ところがよく見ると、この両方の立場は共に陳寿の見解を土台にしている。まず前者は『三国志』蜀書・諸葛亮伝の最後に陳寿が評している

可謂識治之良才,管、蕭之亞匹矣。然連年動衆,未能成功,蓋應變將略,非其所長歟!

と述べているところであり、つまり政治を治めるにあっては管仲や蕭何に次ぐけれども、毎年軍事行動を起こしながらついぞ成功しなかったのは、応変将略を得意としなかったからだろうか、ということだ。一方で『諸葛氏集目録』を上梓する段階で陳寿は次のように述べる。

又自以為無身之日,則未有能蹈涉中原、抗衡上國者,是以用兵不戢,屢耀其武。然亮才,於治戎為長,奇謀為短,理民之幹,優於將略。而所與對敵,或值人傑,加衆寡不侔,攻守異體,故雖連年動衆,未能有克。昔蕭何薦韓信,管仲舉王子城父,皆忖己之長,未能兼有故也。亮之器能政理,抑亦管、蕭之亞匹也,而時之名將無城父、韓信,故使功業陵遲,大義不及邪?蓋天命有歸,不可以智力爭也。

要するに管仲には王子城父という名将がいて、蕭何には韓信という名将がいたから功業を為したのである。しかし諸葛亮には城父や韓信に匹敵する人材がいないのに、管仲や蕭何に次ぐ才能である諸葛亮はどうして成功することができようか。そりゃ無茶ですよ、と述べているのである。先に挙げた宮川氏の述べるところは此処をそのままなぞらえているように思える。

では、皆が結局陳寿の評価の域を超えないのかといえば、必ずしもそうとは言えない。例えば満田剛氏はその著書の中で、諸葛亮の北伐の意図が隴右支配にあり、且つ魏側もその事態を一番懸念していたことに言及。また北伐のタイミングが偶然か否か災害が起こったタイミングで行われており、また魏も同時に兵糧確保が思ったほど容易ではなかったと指摘する。その上で諸葛亮の陣没の地でもある五丈原進出について以下のように述べる。

五丈原の戦いでの諸葛亮の狙いは“持久戦に持ち込んで魏の兵糧が尽きるのを待ち、五丈原の北を通る街道をおさえて隴右.涼州(シルク・ロード)をおさえながら長安を攻めること”だったと考えられる。…(中略)…この持久戦は諸葛亮にとって乾坤一擲を狙ったものであったとしても、決して博打のようなものではなく、勝利への“計算”をした上での戦略であると考えられる。
(『三国志―正史と小説の狭間―』(白帝社)p.252)

このような感じで、諸葛亮に対する評価は一方的に低い評価が為されているのかといえばそうでもなく、逆に諸葛亮の狙いは高く評価されてもいる。しかし読み手にとって一番重要なのは、確かに人がどのように諸葛亮を評価しているのか気にすることではなく、自らがどのように感じるか、史料を読んでその意見を確立させることにある。好き嫌いを語るだけならどうぞご自由に、という感じであるが、誰かを評価する為には自らその評価対象に対して強い関心を持って史料にあたらねばならぬ。先人達もそうしてきたし、これからもそうである。幸いにも『三國志』の日本語訳は図書館に行けば容易に閲覧可能だろうし、誤植も有るが原典はネット上で閲覧可能である。

そのように思う一方、私個人としては最近は史料とご無沙汰だなぁと思う。たまには諸葛亮伝でも読んでみることにしよう。

マルクス『資本論』メモ

日経BPのマルクス『資本論 第一巻1』を読んでの覚え書き。主に第一章。

マルクスは価値の根本に労働を置いている。その商品を生み出すのに使用した労働力が、その商品の価値となる。マルクスはどの労働者も同じ生産性で作り出した価値が同じであると論述する。

第一章を読む限り、マルクスには人間の価値が平等であるとの思想がある。また前提となっているのは第一次、第二次産業。人間がある一定の環境下で決まり切った生産行動をして生み出す商品を考慮に置いている。しかし、サービス産業などの第三次産業はどうなのか。頭脳労働はどうか。抽象化された人間性ではなくて、具体的な個性を持った人間が意味を持つのではないか。マルクスの『資本論』もまた、時代の産物であろうか。

以降、こういった疑問点を念頭に置きながら読み進めることにする。

近藤大介『「中国模式」の衝撃』(平凡社新書)

本書は中国の生活様式、文化について述べた本である。特に日本との差異が強調された構成になっている。北京を中心とした筆者の生活体験から始まり、著者が経験した対中国人との交渉。後半は人民元を基軸通貨に据えたい中国の思惑と、米国に挑む中国の姿を描く。

最初は北京で何でも壊れる、タクシー等サービスの悪さ等々を挙げているが、一方で上海における経験、乃ち以前の上海タクシーはサービスが劣悪だったが近年は顕著に向上していることから、これは中国が発展の過渡期にあるが故の状態であり、今後は色々と整備、教育研修されて改善するだろうと結んでいる。

他、中国経済についてのリスクは他書でも述べているとおりであり、特別何か目新しいと言うことはない。そして結論としても、今後は欧米消費に頼った高度成長は続かず、前例のない社会主義市場経済として試行錯誤が続き、アメリカに変わる経済大国へ成長できるかは道半ばとしている。

いずれにせよ、今後しばらくは中国とアメリカが軸となることは確実である。日本はアメリカに付くのか、中国に付くのかという選択肢の間で揺れ動いているように見える。この現実の中、日本は如何なる選択肢を採り得るのか。著者は後書きでこう述べる。

 総じて言えば、日本はGDPの日中逆転など気にせず、「量から質への転換」を図ればよいのである。先端技術、サービス力、クール文化という「三種の神器」を駆使した「日本様式」で邁進し、中国の巨大市場を活用していけばよいのである。

これを官民挙げて取り組むことが、日本が生き残る道だとする。さて、日本は日米の狭間で埋没せずに何処まで生き残っていくことができるだろうか。

鋭意インストール中

今、LaTeXによるホームページ作成をするため、その開発環境を調整中。ずっとコマンドプロンプトの画面と睨めっこが続く。

プログラムって正直言って、時間が経つのが早いと思う。現場作業や書類作成作業に比べて体感的に感じるだけだけど。そして、時間が経つ割に進捗が芳しくないというのも確か。慣れていないせいだろうが。

しばらく開発環境が整うまで、日記はこういう雰囲気が続きます。ちなみにインストールしたプログラムはLaTeX2ε、Strawberry Perl、Visual C++、Cygwin。とりあえず、どういう状況でも対応できるようにしておく癖がよく現れている。

今はインターネットで調べれば、ある程度までわかるから便利。本格的にやるのであれば、本を購入する必要はあるだろうけど。別にC言語とかUNIX環境で何か本格的なプログラム組むわけじゃないし、そこまではお金かけない予定。

それにしても、プログラムの解説書ってどうして大きくて重いんだろうか。

マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』(中公文庫)

マイケル・ハワードによるヨーロッパ戦争史の解説。中世ヨーロッパ時代から第2次世界大戦までをカバー。全体の分量は約300ページほどだが、各時代の戦争を「封建騎士の戦争」「傭兵の戦争」「商人の戦争」…という風に戦争の主体者を軸に論述を行っている。第2次世界大戦以降の記述がないのは、エピローグにあるように自己充足的国際体制としてのヨーロッパがその時点で終演したと著者が見ているからである。それ以降のヨーロッパの紛争は世界的な動きというより、単なる世界の中の一地方紛争でしかないとも述べている。

本文そのものもそうだが、それとともに巻末の参考文献一覧や石津朋之氏による解説も大変興味深い。強く興味を持った場合には、これを手がかりに色々と文献を渉猟するのも良いかと思う。

薬を飲む時の注意点

『禮記』曲禮下第二には、薬を飲む際の原則が記されている。

 君有疾飲藥,臣先嘗之;親有疾飲藥,子先嘗之。
 醫不三世,不服其藥。

主君が薬を服用する際にはその臣下が問題ないかどうか確認し*1、親が薬を飲む際には子供が確認するという。そして医者が三代に渡って続かない限り、その医者が処方する薬を服用してはならない、という決まり事もあったという。

前者は忠孝に関する話であるが、後者は実務的な意味があるのだろう。祖父親子三代にわたって研究された薬でなければ、信用がおけないということなのだろう。もしこの記述が本当なのであれば、後漢時代に活躍した華佗は色々な人物に薬を処方しまくっているから、医者として三代以上続いているのだろうか。『後漢書』方術列伝の伝える所によれば、

華佗字元化,沛國譙人也,一名旉。遊學徐土,兼通數經。曉養性之術,年且百歲而猶有壯容,時人以為仙。沛相陳珪舉孝廉,太尉黃琬辟,皆不就。

とあって、徐州の地に遊学して勉強したことくらいしかわからないし、三代続いたかどうかは定かではないけれども、「養性の術を暁り、年且に百歳にならんとするに而して猶壮容有り」と称されるあたり既に仙人の如き記述である。それとも華佗一人で三代にわたって医術を相承したに等しいと見なされたのか。

もっとも『禮記』の教えている所は、薬を服用するにはちゃんと実績があって効果が検証されたものでなければ、万が一があるといけないから君子に飲ませてはいけないということなのだろう。

*1:注釈には「嘗とは、其の堪える所を度る」とある。