班固『白虎通』巻一 爵 (9)

父在稱世子何?繋于君也。父殁稱子某者何?屈于尸柩也。既葬稱小子者,即尊之漸也。踰年稱公者,緣民之心不可一日無君也。緣終始之義,一年不可有二君也。故踰年即位,所以繋民臣之心也。三年然後受爵者,緣孝子之心,未忍安吉也。故《春秋》:「魯僖公三十三年十二月乙巳,薨于小寢。文公元年,春,王正月,公即位。四月丁巳,葬我君僖公。」《韓詩内傳》曰:「諸侯世子三年喪畢,上受爵命于天子。」所以名之為世子何?言欲其世世不絶也。何以知天子之子亦稱世子也?《春秋》曰:「公會王世子于首止。」或曰:天子之子稱太子。《尚書傳》曰:「太子發升王舟。」《中候》曰:「廢考,立發為太子。」明文王時稱太子也。世子三年喪畢,上受爵命于天子何?明爵者天子之所有,臣無自爵之義。童子當受父爵命,使大夫就其國命之,明王者不與童子為禮也。以《春秋》魯成公幼少,與諸侯會,不見公,《經》不以為魯恥,明不與童子為禮也。世子上受爵命,衣士服何?謙不敢自專也。故《詩》曰:「韎韐有赩。」謂世子始行也。

天子諸侯が爵位を襲う場合の儀礼について。ここで「世子」という単語が頻出するが、これは「太子」と同義。古代においては「世」と「太」は互いに通用する関係だったという。それと踰年即位、つまり先代の天子が崩じて次の天子が即位する際、年を改めてから次代が即位する理由を述べている。曰く、一年に二人の君主が存在してはいけないという原則があるためという。そしてその実例を『春秋』の記事に求めている。

また、諸侯は先代が亡くなってから三年の喪が終ってから先代の爵位を継いぐのであって、それまでは子を称するのが通例とする。その理由として、爵位はあくまで天子が諸侯に与えるものであって、決して諸侯自らの所有物ではないからだとする。魯成公四年の『春秋』の記事では鄭伯が亡くなってから間もなく「鄭伯」と記して許の国を討伐していることを記しているが(下記引用部の赤字部分)、これは三年の喪に服さなかったことを非難している意味合いがある、と『春秋公羊傳解詁』の著者である何休は指摘する。

【経】
四年,春,宋公使華元來聘。
三月壬申,鄭伯堅卒。
杞伯來朝。
夏,四月甲寅,臧孫許卒。
公如晉。
葬鄭襄公。
秋,公至自晉。
冬,城鄆。
鄭伯伐許。
(『春秋公羊傳』成公四年)

ただし、この三年の喪に服し終わってから爵位を天子から受けるという行為、この解釈は『春秋公羊傳』文公九年の傳に拠るものだと陳立は注釈で指摘する(下記引用部の赤字部分)。

【経】
九年春,毛伯來求金。

【傳】
毛伯者何?天子之大夫也。何以不稱使?當喪未君也。逾年矣,何以謂之未君?即位矣,而未稱王也。未稱王,何以知其即位?以諸侯之逾年即位,亦知天子之逾年即位也。以天子三年然後稱王,亦知諸侯於其封內三年稱子也。逾年稱公矣,則曷為於其封內三年稱子?緣民臣之心,不可一日無君;緣終始之義,一年不二君,不可曠年無君;緣孝子之心,則三年不忍當也。毛伯來求金,何以書?譏。何譏爾?王者無求,求金非禮也。然則是王者與?曰:非也。非王者則曷為謂之王者?王者無求,曰:是子也。繼文王之體,守文王之法度,文王之法無求而求,故譏之也。
(『春秋公羊傳』文公九年)

これが『春秋左氏傳』の傳は以下のようになり、三年の喪云々ではなく、まだ先代の周王の葬儀が終わっていないことを理由に求めている。必ずしも三年の喪云々というわけではないが、『白虎通』本文では特に言及されていない。

【経】
九年,春,毛伯來求金。

【傳】
毛伯衛來求金,非禮也,不書王命,未葬也。
(『春秋左氏傳』文公九年)

この様に、ここに限らず春秋三伝は互いに解釈が微妙に異なることが少なくない。しかし、この『白虎通』において『春秋左氏傳』の説がさほど有力ではないのは、両漢代において『春秋左氏傳』が隆盛を迎えていなかったからである。『春秋左氏傳』の解釈が経学上有力となるためには、後漢末から魏晋期を待たねばならなかったようである。

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