宮崎市定『科挙史』(東洋文庫)

科挙史 (東洋文庫)

科挙史 (東洋文庫)

本書は1946年に秋田屋から刊行された『科挙』が久しく絶版だったことを鑑み、補訂し題名を『科挙史』と改めて刊行したものである。元々は企画院の外郭団体である東亜研究所より、1939年に清国の官吏登用制度の調査依頼を受けて作成した著者の報告が土台となっている。しかし、肝心な報告書は日の目を見ることなく、後日、報告書の内容を増補して単行本化した。それ故、本書の内容は科挙の歴史全般と言うよりも、清の時代における科挙制度変遷を記したものである。

科挙制度の大きな特徴は、科挙制度が本格運用される唐代以前は他薦による官吏採用だったのに対し、科挙は自薦による官吏採用であった点に尽きる。以後、科挙は制度的変遷を経て清の滅亡と共に崩壊するまで存続する。科挙制度を滅ぼしたものは旧来の儒学の大系とはまったく異なる、西洋学問の存在であった。儒学の知識だけでは欧米列強とは互しえなかったことが制度崩壊の引き金になった。

科挙制度は能力のある人物を官吏として採用できる点において、魏晋南北朝時代に盛んであった九品官人法の流れを汲む体系が貴族制社会の再生産の土壌となっていた点と比べると優れている。一方で科挙を受験するためには幼少の頃より学問に励む必要があり、そもそもそれだけの経済的余裕のない家庭は科挙受験の機会さえ得られなかった。それは結果として支配者層と被支配者層という階級分離・固定化をもたらすことになる。また、100人に数人という過酷な選抜により、進士(科挙合格者)に及第する者以上に落第者を生み出した。この科挙の落第者は進士で占められる中央政府に対して反感を抱きやすく、科挙制度発足以来この落第者、言い換えれば求職できず政府に不満を抱くエリートの処遇は各王朝の悩みの種であった。

こういった科挙制度の歴史、試験方法をざっと眺めることができる点に於いて、本書はやはり名著であることは確かである。もし著者の作成した報告書が東亜研究所に採用され、重要書類として機密扱いにでもなっていたら本書は登場しなかったかも知れない。そう思うと、歴史の奇遇を感じざるを得ないのである。

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