魏晋南北史研究会 第14回大会

去る9月15日(土)、午後から魏晋南北史研究会の第14回大会が開催された。その先週及び先々週は三国志学会関連であったが、三国志学会の大会や講演会は視点が一般人に向いているのに対し、この魏晋南北史研究会は専門家が相手の大会である。当然、一般人の参加者はごく少数に限られている。

さて、今回の発表は2件。1件目は福原啓郎先生の発表で、「西晋の張朗墓誌の総合的研究を目指して」というもの。墓誌が研究に選ばれる理由は幾つかあるのだが、一つは墓の中にあって風に晒されておらず保存状態が比較的良好であること。曰く、文献資料と近似性がある、と。また量的な問題もあって、魏晋期以前は墓誌碑の数は非常に限られているが、逆にこの時代より先になってしまうと量が膨大になる。よって、研究するには魏晋期の方がちょうど良いそうだ。決して三国志が好きで魏晋期を選択したわけではないらしい。

魏晋期の墓誌碑には大きく二つにジャンル分けされ、一つは張朗のような無名人のもの、もう一つが荀岳のような有名人のものだ。墓誌碑の形など、その違いは重層的に想定される為、数々の特徴をピックアップして比較検討する必要があると福原先生は述べていた。

例えば文字量が碑陽、碑陰併せて400文字あるがこれは多い部類に入る。そして夫婦合葬、嫡子が居るのに墓誌が作られている(魏晋期における墓誌は通常、嫡子が居ない場合に作成される)等々。記載も張朗が無官であったことから、儒教的な徳目での良さをつらつらと記載している(通常は出世や功績を記す)。

最後に、福原先生は近年出土のものは偽物の墓誌が多いと述べていた。よく見れば偽物にも特徴が有るらしいのだが、その知見は是非とも記録として残して欲しいと思う。例えば偽物の石刻資料だけを集めて個別に全部批判し、一冊の本にするとか。

二つ目は窪添慶文先生の「北朝における弘農楊氏ー楊播一族を中心に」という発表。隋唐時代になると楊氏の墓誌が大量に出てくるが、北朝時代はそうでもない。特徴として、漢人貴族ではあるが武名で名を挙げていること、そして弘農楊氏として華陰を本貫としているが、実際には北朝時代の弘農楊氏は華陰との繋がりが強くないことだった。

弘農楊氏、と言えば真っ先に三国時代に活躍した楊脩の一族を想像してしまうのだが、そこから北朝までの流れはどうなのだろうか。そういえば楊脩以後、よく分かっていないように思う(実は北朝の弘農楊氏から隋代の楊素に至る過程もハッキリと分からないらしい)。

氣賀澤先生と窪添先生との質疑のやりとりを聞いて、この分野もまだ未解決なところが多いのだろうな…と実感した次第。しかし、だからといって豊富な石刻資料の中には偽物もあったりして、私のような素人には手を出しにくい分野に相違ないだろう。

 

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