班固『白虎通』巻六 耕桑

思い出したかのように再開してみる。

王者所以親耕,后親桑何?以率天下農蠶也。天子親耕以供郊廟之祭,后親桑以供祭服。《祭義》曰:「天子三推,三公五推,卿大夫七推。」耕於東郊何?東方少陽,農事始起。桑於西郊?西方少陰,女功所成。故《曾子問》曰:「天子耕東田而三反之。」《周官》曰:「后親桑,率外内婦蠶於北郊。」《禮祭義》曰:「古者天子諸侯,必有公桑蠶室,近外水為之,築周棘牆,而外閉之者也。」

久しぶりなので合っているかわからないが、これを書き下すと次のようになる。

王者が耕に親しみ、后が桑に親しむ所以は何ぞや?天下の農蚕を率いるを以てする也。天子は耕に親しみ以て郊廟の祭に供え、后は桑に親しみ以て祭服に供うる。『祭義』に曰く「天子三推、三公五推、卿大夫七推。」東郊に耕するのは何ぞや?東方は少陽、農事は始め起こる。西郊に桑するのは何ぞや?西方は少陰、女の功が成ずる所たり。故に『曾子問』に曰く「天子は東田を耕し、而して之を三反とす。」『周官』に曰く「后は桑に親しみ、外内の婦を率いて北郊に蚕す。」『礼書』祭義編に曰く「古は天子諸侯、必ずや公の桑蚕室有り、外水の近は之が為なり。周りに棘牆を築き、而して外閉の者也。」

天子の祭礼として、天子が田を耕し、后が桑蚕して服を作成して天に供えるというものがある。どうしてそのような祭礼があるのかというと、国家の根幹たる農業を天子が司り、無事に農業に励むことができるように…との意味合いが込められているのであろう。よって、昔の宮殿には蚕を飼うための部屋が設けられていたし、近くに川があるところを選ぶのは祭礼で田を耕すためなのである。

そうすると、必然的に宮殿の敷地内がどのような仕組みか大変興味深いが、これは『三輔黄図』を参照するのが一番適しているのかも知れない。それについては追って調べたいと思う。

まぁ、取り敢えず今日はこの辺で。

福原啓郎『魏晋政治社会史研究』(京都大学学術出版会)

魏晉政治社会史研究 (東洋史研究叢刊)

魏晉政治社会史研究 (東洋史研究叢刊)

魏晋期における政治史及び社会史に関する論考。恐らく同氏の著書『西晋の武帝 司馬炎』(白帝社)で名前を知っている人も多いと思うが、基本的な方向性は同じである。但し本書は学術書である為、先行研究に対する言及や注釈が豊富である(それだけではないけども)。目次等に関しては三国志ニュースさんで言及されているので全体的な紹介や論評はお任せすることにして、特に興味を持った箇所だけ言及する。

まず本書の概略に関しては、序論と結語の部分を読み通せば分かるように構成されている。また、図解は基本的に少ないものの、石刻資料(第四章)や墓誌(第十一章)には比較的多く図面が載っている。第九章の『銭神論』や第十章の『釈時論』に関しても主要な逸文に関する原文と全訳を載せているので、後で参照するのに役立つ。

そして個人的にもっとも興味を持ったのが、第五章「八王の乱の本質」及び第六章「西晋代宗室諸王の特質」である。この箇所は西晋時代の八王の乱に関して、従来研究では宗室の諸王が自らの欲するままにクーデターを繰り返したと見られがちであるが、それに対して貴族制の観点から一定の方向性を見出そうとするものである。そして著者がそのキーワードとして摘出したのが「輿論」の存在である。著者は言及する(赤字は拙による)。

この府主と幕僚の関係を考察してみると、そもそも府主に辟召されて幕僚となっていた士大夫は、府主が自らに人心を繋ぎ留めるために辟召した人物、すなわち輿論の期待を担っている人物であり、逆に言うならば、輿論を導く立場にある人物であり、それ故に幕僚の府主に対する批判は、輿論の具体的な代弁である。
(p.174:第五章第二節 輿論について)

このように宗室諸王は開府することにより、軍府の属僚および管内の郡県の長官の任免権を掌握していたのである。ではすべて宗室諸王の恣意によるかといえばそうではなく何かに規制されている。その規制するものが士大夫の輿論であり、逆に言うならば輿論で支持された人物こそその軍府内の僚属となるのである。・・・(中略)・・・こうして府主である宗室諸王は辟召した士大夫(すなわち貴族)を通して具体的に輿論と結びつくのである。
(p.214:第六章第二節 宗室諸王と士大夫)

突きつめれば、宗室諸王と輿論の存在とその結合が詔敕の代替となったといえよう。そしてこうしたありかたこそ逆に詔敕などに現われた皇帝の権威を生ぜしむる由来を示唆するのではないか。・・・(中略)・・・つまり魏晋国家体制は図式的には軍隊と輿論の結合であり、その両者を結ぶ接点として皇帝が存在するのであり、皇帝の権威はその背景に両者により支えられており、そこから生じているのである。
(p.222:第六章第三節 宗室諸王の権威)

 

上述するように、皇帝の権威が軍権及び輿望を担う士大夫層の支持から構成されていると著者は結論づける。八王の乱の前半で矯詔によるクーデターが、後半で詔勅に因らない義起が可能であったのも軍権と士大夫層による支持があったからであり、これがなければ皇帝と雖も自由に権力が振る舞えなかったということである。

ただ個人的な贅沢を言えば、この輿論を構成する士大夫層が如何なるものであるかについてもう一歩踏み込んだ言及が欲しいように思えた。それは果たして川勝義雄『六朝貴族制社会の研究』(岩波書店)で言及するような「郷論環節の重層構造」に由来するものなのか、それとも渡邉義浩『三国政権の構造と「名士」』(汲古書院)で言及するような文化価値によるものなのか、それともそれらとは別の見方によるものなのか。系譜的に川勝義雄氏の説をベースにしていると勝手に想像しているが、ひょっとすると私が見落としているだけかも知れない。

三国時代というよりは魏末~西晋に掛けての言及が殆どであるから、三国時代末期に興味のある人は購入を検討しても良いのではないだろうか。