世界史に関する本を購入してみた

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或る書店の触れ込みに曰く、東大早稲田慶応でよく売れている世界史の本。今日購入したばかりなので、まだ読了していない。

本書はウィリアム・H・マクニールによって執筆されたが、元々の執筆動機はオックスフォード大学の授業の使用に耐えられる程度の適度な分量に収まること。それまでは全十巻にも及ぶ大著を教科書に使用することになっていたらしい。なんともため息が出る話である。

さてそのようなわけで、冒頭を読んでみた限りではとても読み易い印象。あっという間に読み進めることができそうだ。よく考えると世界史の本と言えばあまり持っていない。恐らく持っている本の中で、体系的に世界史を述べているのは岩波新書(青)のH.G.ウェルズ『世界史概観』くらいだとおもう。

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漠然とした世界史の流れはあまり把握していないのだけれども、一般教養程度には知っておく必要はあるかも知れない。別に中国古代史偏重の揺り戻し、という意図は無いのだけれども。

桓寬『鹽鐵論』本議第一 (6)

大夫曰:「往者,郡國諸侯各以其方物貢輸,往來煩雜,物多苦惡,或不償其費。故郡國置輸官以相給運,而便遠方之貢,故曰均輸。開委府於京師,以籠貨物。賤即買,貴則賣。是以縣官不失實,商賈無所貿利,故曰平準。平準則民不失職,均輸則民齊勞逸。故平準、均輸,所以平萬物而便百姓,非開利孔而為民罪梯者也。」

大夫曰く「往者*1、郡国諸侯は各其の放物*2を貢輸するを以てするに往来煩雑、物多くて苦悪*3し、或いは其の費を償わず。故に郡国に輸官を置き以て相運ぶを給け而して遠方の貢を便とし、故に曰く均輸という。京師に府を開き委ね*4、以て貨物を籠めん。賤せば則ち買い、貴たれば則ち売る。是れ以て縣官*5は実を失せず、商賈は利を貿むる*6所無く、故に平準という。平準たれば則ち民は失職せず、均輸たれば則ち民は斉しく労逸す。故に平準・均輸、万物を平らかにし而して百姓を便するを以てする所、利の孔を開き而して民の罪梯を為す者に非ざるなり。」

文学の士が商工業重視の政策が庶民の生活を困窮させる、と指弾したことに対する桑弘羊の反論。均輸制は遠方からの運搬の手間を官が担うことによってその労を軽減させ、平準制は首都に物品を集約して売買することを指すようである。均輸制は現代で例えると国営の運輸事業みたいなものだろうか。平準制は物品を一箇所に集約することで地方による価格差を無くすことが目的か。本当は『漢書』を読んで理解すべきだろうが(恐らく上奏文とかに詳細が載ってるのだろう)、ここだけで判断する限りはそんな感じ。とにかく、桑弘羊は今回の反論で「庶民の生活にとっても利益があり、そのような批判は当たらない」と。

*1:過ぎ去った昔の事柄。

*2:地方の産物。

*3:苦と悪は同義で、困難であることを強調している。

*4:委=積む、という意味。

*5:漢代に於いて、「縣官」は天子を指す。『史記索隱』や『資治通鑑』の胡三省注で指摘。

*6:求めると同義。

趙炳清『蜀鑑校注』(国家図書館出版社)

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宋の郭允蹈『蜀鑑』に対して校注した書籍。先秦時代から北宋時代に至るまで1200年間にわたる蜀の攻防が記されている。その目的は南宋存続のために蜀の地が重要であることを示すため。繁体字なので簡体字に慣れていない私にとっても読み易く、そして注釈が豊富なので本文中の単語も理解しやすい。記述は非常に簡潔で、行軍や攻略に必要な箇所を除いて、殆ど会話文は無い。また地名は沢山出てくるが地図の類は一切出てこないため、『水経注図』や『中国歴史地図集』を手元に置いておかないと厳しいように思う。

難しい経学用語は殆ど出ず、誰が何時何処を攻めてどうなったという記述が続くため、さくさく読める。本文中の記事をもう少し詳しく知りたいと願うなら、注釈を手がかりに史料を調べると良いかと考えられる。

尚、私の持っているのは初版本で、繁体字だけで構成されているはずなのに時々簡体字が見受けられたり、巻末附録のページが乱調気味と大変微笑ましいが、読了する上で大きな支障も無いし、購入したのが大分昔で今更交換もできないと思うのでこのまま使用し続ける所存である。

『禮記』月令篇について

『禮記』月令篇は毎月の出来事や動きについて記した篇である。この篇の著者は周公の作であると伝えられる一方、鄭玄はこの『禮記』月令篇は周公の作では無く、『明堂陰陽記』を起源とするものであると判断する。また、『禮記正義』の孔穎達は以下のように月令篇について注釈し、以下の4つの理由を以て月令篇の記述が周代の習慣に適合していないとしている。

  • 呂不韋諸儒士を集め為に十二月紀を著し、合すること十余万言、名づけて『呂氏春秋』と為す。篇首皆月令有り、この文と同一、一証なり。
  • 周に太尉無く、秦官に太尉有り。而して此の月令『乃ち太尉に命ず』と云い、官名周法に合せず、二証なり。
  • 秦は十月建亥を以て歳首と為し、而して月令は『来歳を為すは朔日を授く』と云い、乃ち是九月を歳終と為し、十月を授朔と為す。此是時の周法に合せず、三証なり。
  • 周に六冕有るも、月令は服飾車旗並びに時色に依り、此是事は周法に合せず、四証なり。

朱彬『禮記訓纂』は『禮記』月令篇の成立に関してはこれ以上の指摘をしないのであるが、島邦男『五行思想と禮記月令の研究』(汲古書院)では周公の作であることを支持する立場として後漢の馬融、蔡邕、賈逵、魏の王肅を代表格として挙げてその立場を解説している。また島邦男氏は著書の中で、『管子』四時篇や『呂氏春秋』、漢初の『時則十二紀』等を比較しながらその成立順を以下に纏めている。

 四時篇―原始十二紀―漢初十二紀―明堂月令―現本呂氏十二紀
 要するに明堂月令は宣帝時に成り、大載禮記から明堂禮・皇覽逸禮などの增補を採り入れ、更に天子諸侯卿大夫の制を增して、天子の事例として相應しく字句を修整した最も勝れた月令である。後漢に至り、呂氏春秋はこれを十二紀に採り入れることによって、高誘注本の現本呂氏十二紀と成ったのである。
(島邦男『五行思想と禮記月令の研究』(汲古書院) p.224)

ここの四時篇は『管子』四時篇、原始十二紀は一番最初に成立した『呂氏春秋』、漢初十二紀は『時則十二紀』、明堂月令は『禮記』月令篇、現本呂氏十二紀は現在流通している『呂氏春秋』を指す。『禮記』月令篇は周の時代の習慣を述べたものではないが、こういった研究成果を読む限りに於いて、漢代の事例として読むのに大変都合が良いと云うことに成るのだろう。逆に、この『禮記』月令篇を以て先秦時代の習慣と判断すると、場合によっては判断を誤るとも。よく注意して接していきたいものである。

『後漢書』羊陟伝

羊陟字嗣祖,太山梁父人也。家世冠族。陟少清直有學行,舉孝廉,辟太尉李固府,舉高第,拜侍御史。會固被誅,陟以故吏禁錮歷年。復舉高第,再遷冀州刺史。奏案貪濁,所在肅然。又再遷虎賁中郎將、城門校尉,三遷尚書令。時太尉張顥、司徒樊陵、大鴻臚郭防、太僕曹陵、大司農馮方並與宦豎相姻私,公行貨賂,並奏罷黜之,不納。以前太尉劉寵、司隸校尉許冰、幽州刺史楊熙、涼州刺史劉恭、益州刺史龐艾清亮在公,薦舉升進。帝嘉之,拜陟河南尹。計日受奉,常食乾飯茹菜,禁制豪右,京師憚之。會黨事起,免官禁錮,卒於家。

まずは例の如く書き下し。諸注意もかくの如し。

 羊陟字を嗣祖、太山郡梁父県の人なり。家世冠族たり*1。羊陟は少くして清直にして学業有り。孝廉に挙げられ、太尉李固の府に辟せられ、高第に挙げられ、侍御史を拝す。会*2李固誅せられ、羊陟は故吏を以て歴年禁錮とす。復た高第に挙げられ、再遷して冀州刺史たり。奏して貪濁を案じ、在る所は粛然たり。又再遷して虎賁中郎将、城門校尉、三遷して尚書令たり。時の太尉張顥、司徒樊陵*3、大鴻臚郭防、太僕曹陵、大司農馮方並びに宦豎と相姻私し*4、公に貨賂を行う。並びに奏して之を罷黜*5せんとするも、納めず。以前の太尉劉寵、司隷校尉許冰*6、幽州刺史楊熙、涼州刺史劉恭、益州刺史龐艾は清亮にして公に在り、薦挙して昇進せしむ。帝之を嘉とし、羊陟は河南尹を拝す。日を計りて奉を受け*7、常に乾飯と茹菜*8を食し、豪右の制するを禁じ、京師之を憚る。会*9党事起こりて官を免ぜられて禁錮し*10、家に卒す。

というわけで、寝る前にお酒を飲みながらもう一つ訳してみた。これくらいの分量ならすぐできてお手軽である。

*1:代々豪族の家柄だった。県は違うが、同郡出身であることから、羊続の一族ではなかろうか。羊続も七世二千石の家柄である。

*2:たまたま

*3:錢大昕曰く「靈帝紀は樊陵を太尉と為して司徒に非ず」。ということだが、それだと張顥と被るじゃん…という話もあったりなかったり。時期的な問題だろうか。

*4:宦官勢力と一部士大夫の結託と読める。

*5:辞めさせて退ける、と言う意味。

*6:『後漢書集解』には以下の記述がある。【王先謙曰く、官本は亦た永と作る。『考証』曰く、永は毛本で冰と作り、監本は水と作る。今は宋本に従う。王先謙案ずるに、毛本並びに冰と作らず、何本に拠るか知らず。】ここは中華書局、そして中央研究院の漢籍電子文献が共に許冰と表記しているので今回はそれに従ったが、王先謙の見解に拠れば「許冰」という表記は根拠が無いとし、実際に『後漢書集解』における本文表記は「許永」となっている。

*7:給料(俸禄)を誤魔化さなかったということか?

*8:乾いたご飯と茹で野菜だけ。

*9:たまたま

*10:所謂「党錮の禁」だが、恐らく第一次の方か。

『後漢書』羊続伝

羊続字興祖,太山平陽人也。其先七世二千石卿校。祖父侵,安帝時司隷校尉。父儒,桓帝時為太常。

続以忠臣子孫拝郎中,去官後,辟大将軍竇武府。及武敗,坐党事,禁錮十余年,幽居守静。及党禁解,復辟太尉府,四遷為廬江太守。後揚州黄巾賊攻舒,焚焼城郭,続発県中男子二十以上,皆持兵勒陳,其小弱者,悉使負水潅火,会集数万人,併埶力戦,大破之,郡界平。後安風賊戴風等作乱,続復撃破之,斬首三千余級,生獲渠帥,其余党輩原為平民,賦与佃器,使就農業。

中平三年,江夏兵趙慈反叛,殺南陽太守秦頡,攻没六県,拝続為南陽太守。当入郡界,乃羸服閒行,侍童子一人,観歴県邑,採問風謡,然後乃進。其令長貪絜,吏民良猾,悉逆知其状,郡内驚竦,莫不震懾。乃発兵与荊州刺史王敏共撃慈,斬之,獲首五千余級。属県余賊併詣続降,続為上言,宥其枝附。賊既清平,乃班宣政令,候民病利,百姓歓服。時権豪之家多尚奢麗,続深疾之,常敝衣薄食,車馬羸敗。府丞嘗献其生魚,続受而懸於庭;丞後又進之,続乃出前所懸者以杜其意。続妻後与子祕倶往郡舎,続閉門不内,妻自将祕行,其資蔵唯有布衾、敝袛裯,塩、麦数斛而已,顧勑祕曰:「吾自奉若此,何以資爾母乎?」使与母倶帰。

六年,霊帝欲以続為太尉。時拝三公者,皆輸東園礼銭千万,令中使督之,名為「左騶」。其所之往,輒迎致礼敬,厚加贈賂。続乃坐使人於単席,挙縕袍以示之,曰:「臣之所資,唯斯而已。」左騶白之,帝不悦,以此不登公位。而徴為太常,未及行,会病卒,時年四十八。遺言薄斂,不受賵遺。旧典,二千石卒官賻百万,府丞焦倹遵続先意,一 無所受。詔書襃美,勑太山太守以府賻銭賜続家云。

まず、とりあえずざっと書き下してみよう。必要に応じて勝手に付け加えているのは了解いただきたい。というより正確ではないので(正確になるよう努力はしている)、間違いがあればコメント等でご指摘願いたい。

 羊続は字を興祖、太山郡平陽県の人なり。その先七世は二千石の卿校たり。祖父の羊侵、安帝の時に司隷校尉たり。父の羊儒、桓帝の時に太常と為る。
 羊続は忠臣の子孫を以て郎中を拝し、官を去りて後、大将軍竇武の府に辟せらる。竇武敗れるに及び、党事に坐して禁錮十余年、幽居して静を守る。党の禁を解かるるに及び、復た太尉府に辟せられ、四遷して廬江太守と為る。後に揚州黄巾賊が舒を攻めるや、(黄巾賊は)城郭を焚焼す。羊続は県中の男子二十(歳)以上を発し、皆兵を持し陣を勒し、其の小弱は悉く水を負って火に潅がしむ。会集すること数万人、埶を併せて力戦し、之を大破し、郡界平らぐ。後に安風賊の戴風等が乱を作し、羊賊は復た之を撃破し、斬首すること三千余級、生かして渠帥を獲らえ、其の余党の輩は原して*1平民と為し、佃器を賦与して農業に就かしむ。
 中平三年、江夏兵の趙慈が反叛し、南陽太守秦頡を殺し、攻めて六県を没せしめ、羊続は拝して南陽太守と為る。当に郡界に入るや、乃ち羸服して*2閒行し*3、童子一人を侍らせ、県邑を観歴す、風謡を採問し*4、然る後に乃ち進む。其の令長*5は貪なるも絜なるも、吏民は良なるも猾なるも、悉くその状を逆知し*6、郡内は驚き竦み、懾れ震わざるは莫し。乃ち兵を発して荊州刺史王敏と共に趙慈を撃して之を斬り、首を獲ること五千余級。属県の余賊併せて羊続に詣で降る*7。羊続は為に上言し、其の枝附を宥む。賊既に清平たり、乃ち班して政令を宣し、民の病利*8を候い、百姓歓服す。時に権豪の家は多く奢麗を尚び、羊続は深く之を疾とし、常に衣は敝して*9食は薄く、車馬は贏敗す*10。府の丞嘗て其の生魚を献ずるに、羊続は受けるも而して庭に懸けたり。丞は後に又之を進めたれば、羊続乃ち出で懸ける所の者を前め以てその意を杜ざす*11。羊続の妻は後に子の羊秘と倶に郡舎に往かんとするも、羊続は門を閉じて内れず*12、妻自ら羊秘を将いて行かんとす*13。其の資蔵は唯布衾有るのみにして、袛裯*14は敝し、塩、麦は数斛のみ。(羊続は)羊秘を顧みて勅して曰く、「吾自ら奉ずること此の若く、何ぞ以て爾の母に資するか?*15」母と倶に帰せしむ。
 中平六年、靈帝は羊続を以て太尉と為さんと欲す*16。時に三公を拝するは、皆な東園に礼銭千万を輸し、中使に之を督せしめ、名を「左騶」と為す*17。其れ之の往く所、輒ち迎えて礼敬を致し、厚く賄賂を加う。羊続乃ち単席に人を使わして坐せしめ、縕袍を挙げて以て之を示して曰く、「臣の資する所、唯其れのみ*18 *19。」左騶之を白さば*20、帝悦ばず*21、此を以て公位に登らず*22。而して徴して太常に為さんとするも*23、未だ及び行かずして、会*24病にて卒し、時に年四十八。薄く斂して、賵遺を受けざるを遺言す。旧典、二千石にて卒官せば百万を賻るに、府丞の焦倹*25羊続の先意に遵い、一つも受けるところ無し。詔書して美しきを褒め、太山太守に敕して府の賻銭を以て羊続の家に賜うを云う*26

その時々の個人的感想や解釈は上の書き下し文中の注釈に入れたので、参照願います。羊続は見ての通り蓄財に励まなかったので全く資産が無く、売官横行当時の靈帝期ではかなり不利に働いています。ただ、反乱鎮圧の実力は買われていたようで、廬江太守と南陽太守の鎮撫の実績がそれを物語っている。流石は羊祜の祖父。ちなみに羊祜の父親は羊衜、父の死後にお世話になった叔父は羊耽の為、この列伝で登場する羊秘は傍系か何かなのかも知れない。

*2012/02/21 09:50 – mujin氏から幾つかご指摘を受けて修正しました。ありがとうございます。

*1:免じて、の意味。

*2:ボロボロの服を着て

*3:間道を通り

*4:風謡を聞いて回ったということか?

*5:県令と県長の意味だろう。

*6:mujin氏の指摘:事前に察知との意味

*7:要は生き残った趙慈の一味は続々と羊続等に降伏したということだと思う。

*8:病=損、利=益なので損益の意味。

*9:着る物がボロボロ

*10:とにかくボロボロ

*11:王文台は『北堂書鈔』から次のエピソードを引用している。羊続は淡水魚が大好きだったので、府丞の焦倹は三月に鯉魚一頭を献上しようと望む。しかし、献上された鯉魚を羊続は食べずに庭に懸け、翌年に再び鯉魚を献上してきた焦倹へ干された鯉魚を見せて「私は鯉魚を食べないよ」という意思を示したのだという。これは私見だが、恐らく焦倹は気を利かせて上司の好きな食べ物を献上しようとしたのだろうが、それを受け取れば部下へ暗に今後もそういった行為を要求することにもなりかねない。質素倹約を掲げていた羊続としては、トップ自らその姿勢を顕示する為に大好きな淡水魚を絶ったのだろう。

*12:mujin氏の指摘:内=入

*13:羊続が中に入れようとしないので、妻が子供を引き連れて無理矢理部屋の中に突入した、という事だろうか(笑)

*14:短衣のこと。

*15:私が宮仕えするのはこういった態度であるのに、どうしてお前の母に分け与えるようなものがあるだろうか、という意味だろう。つまりこの時、羊続の妻が何か資産になる物を取りに来たのだろう。で、何もなかった…と。

*16:袁山松『漢書』には、時の太尉であった劉虞が羊続に地位を譲渡しようとしたのだという。

*17:要は売官を管理する為の役職だろう。お金の受け渡しが確実に行われたか確認する為の。

*18:実家に住む妻にすら分け与える物がないのだから、当然送る賄賂なんて持っていないのである。

*19:尚、このエピソードから巷では「天下清苦,羊興祖。」と謡われたという。出典は范泰『古今善言』。

*20:普通なら宴会場に連れて行って大いにもてなしを受ける役得なのに、粗末な席に通されて何もないと言われたら、そりゃあ心証が悪いに決まってますよね。

*21:売官が目的なので、お金が貰えなかったら大いに不都合なのです。

*22:劉虞の推薦は通らなかった、ということになる。

*23:太常なら銭は要らないのか、それとも羊続の評判を買ってのことなのかはわからない。たぶん後者。

*24:「たまたま」と読んでちょうどそのとき、と言う意味。

*25:鯉魚を羊続に贈るも受け取って貰えずにションボリしていた(かどうかは定かではない)あの人である。

*26:ということは、この二千石官(要は太守)が死去した時の百万銭の受取手は、本来その郡府の庫ということになる。家族が対象ではないらしい。

マイケル・サンデル『公共哲学』(ちくま学芸文庫)

公共哲学 政治における道徳を考える (ちくま学芸文庫)

公共哲学 政治における道徳を考える (ちくま学芸文庫)

2010年にNHKで放映されたサンデル教授の白熱教室は、私も深夜に視聴したことを覚えている。様々なテーマをわかりやすく提示し、議論を導いていく様子は本当に視聴のし甲斐があった。しかし、一方でサンデル教授の思想は一体何であろう、何を目指しているのだろうか、という疑問をつい最近になって抱くようになった。

その結論というわけではないが、本書はサンデル教授が目指している方向性を示してくれる。それはタイトルにあるように公共哲学だ。大小様々な30章、大きく分けて3部構成だが、いずれも過去に雑誌等で発表した記事の再録が中心だ。具体的な事例から徐々に理論的で哲学的な内容に入っていく。主題や結論は各記事冒頭に提示されるため、これから何を論じようとしているのかわかりやすい。結論から言えば、多様な立場の人に見せることをかなり意識している。サンデル教授はアメリカでポピュラーなテーマを扱いつつ、以下のように論じる。

こんにちの自己統治において要求されるのは、地域から国家、さらには世界全体にいたるまでの多様な環境のなかで、みずからの役割をまっとうする政治である。…(中略)…こうした勢力に打ち勝つ、あるいは少なくともそれと戦うために必要な市民的資源は、依然として場所や物語、記憶や意味、出来事やアイデンティティのなかにある。こうしたものが、われわれを世界のなかに位置づけ、われわれの生活に道徳的独自性を与えてくれるのである。
(「第1章 アメリカにおける公共哲学の探究」p.58~59)

われわれに必要な政治哲学が問うのは、自己統治やそれを支える市民道徳にふさわしい経済制度は何かということだ。市民社会再生のプロジェクトが重要なのは、政治的対立を和らげる方法を提供するからではない。そうではなく、アメリカの民主主義が健全であるためにはそれが必要だからだ。
(「第5章 礼節をめぐる問題」p.93)

三十年をへてもなお、革新の衝動は説得力のある声を取り戻せていない。われわれは依然として強力な理想主義を必要としている。それがわれわれに思い起こさせるのは市民性であり、市民性とは消費社会のための基礎訓練を超えた何かから成るものなのだ。
(「第7章 ロバート・F・ケネディの約束」p.104)

サンデル教授は市民によるコミュニティの復権を訴える。妊娠中絶や同性愛などの込み入った議論では宗教的、道徳的な意見を全く抜きにして価値判断できないし、或るコミュニティ多数派の価値観が少数派の価値観と比べて優れているわけでもない(そのように断じる根拠もない)。サンデル教授の掲げる公共哲学は特定の価値観に偏らない多元主義の中で育まれ、議論の解として複数の答えがあり得ることを示している。

軽い語り口で差別や偏見、政治といった難しい問題をサンデル教授は取り扱う。その背景にはカントやデューイ、ロールズ等の哲学を通じて培った素養がある。文章は丹念に読めばそれほど難解ではない。そうであればこそ、逆にサンデル教授の頭の回転の良さが際立ってくる。サンデル教授の掲げる多元主義、公共哲学に賛同できるかどうかは別として、恐らく一時代を代表する論者ということになるのだろう。

ブルーノ・ラトゥール『科学論の実在―パンドラの希望』(産業図書)

科学論の実在―パンドラの希望

科学論の実在―パンドラの希望

サイエンス・ウォーズという科学哲学における論争の中心メンバーの一人、ラトゥールの著作。本書のきっかけは友人の『あなたは実在を信じますか?』という問いであったという。それはつまり「主体‐客体」という二分法によるモダニズムの決着法を信じるのか、という問いに還元される。ラトゥールはこの問いに対し、それらとは異なる「人間‐非・人間」というノンモダンの決着法を提案しようとする。本書はこの「人間‐非・人間」という関係性を説明するための膨大な証明である。

何故ラトゥールは「人間‐非・人間」というあり方を提案するのか。それはサイエンス・ウォーズが構築主義と実在論のいずれかの立場に立つことを強要してきたからだ、との認識がある。論争の渦中に巻き込まれたラトゥールにとって、この一連の論争は非常に不毛であると映ったようだ。

換言すれば、科学論のプロジェクトは、科学の闘士が人々に信じさせようとしていることとは逆に、科学と社会の間には「何らかの結び付き」が存在するのだというア・プリオリに主張するのものではない。というのも、この結び付きが存在するかどうかは、それを確立するためにアクターたちが行ったことや行わなかったことに依存しているからである。科学論は単に、この結び付きが存在するときに、それを究明するための方法を提供しているに過ぎない。

ラトゥールは本書の中でこのように言及し、激しい論争の中で荒廃してしまった科学論の舞台を復興させようとする。しかし、一方で

確かに科学論はある説明を与えるのだが、それは、集合体的な存在から科学の諸分野を摘出することによって得られた社会という無用な概念の人為的な起源についての説明である。この摘出手術のあとに残るのは、一方に人間だけからなる社会と、他方に概念的なコアだけである。

と述べ、科学論が単に科学の専門的な説明と社会的要因を結び付けるだけでは、お互いに無関係な文脈が併記されているに過ぎなくなる。そのため、ラトゥールは「社会」という概念を捨て去ることによってこの事態を解決しようとする。

ラトゥールが「社会」という概念を捨て去るのに用いたのは、なんとプラトンの『ゴルギアス』におけるソクラテスとカリクレスの問答であった。ソクラテスはカリクレスの議題を巧妙にすり替え、単純化することで論破した。同様に、社会学者は「権力」から「理性」を完全に分離し、まるで「権力」に「理性」が伴っていないかのような前提で議論を行う。しかし、カリクレス自身もそのような想定をしていないように、アテネの民衆たちに道徳や秩序が未だかつて完全に欠落していたことはない。それはあくまで観念上の産物であって、実際に生きる民衆を適切に描写していない。そしてそれと同様に、未だかつて「理性」を全く伴わない「権力」は存在しない。つまり要約するとこうだ。

〈理性〉の定義の中に〈権力〉の定義と共通しない特徴は全く存在しないのである。したがって、両者のあいだを行きつ戻りつしたり、片方を犠牲にしてもう一方を拡大しようとしたりしても、得られるものは存在しない。しかし、〈権力〉/〈理性〉という双子のリソースが発明された場所と状況、すなわちアゴラに注意を向けるなら、すべてが得られるだろう。

結局、ラトゥールが言いたいことは何であったのであろうか。「人間‐非・人間」という決着法を示すため、アマゾン流域での土壌研究やパスツールの細菌研究、果ては古代ギリシャの古典まで引用した。結論の中でラトゥールは次のように述べる。

外側の世界など存在しない。しかし、それは、世界が存在しないからではなく、内側の精神も存在しなければ、論理学という狭い小道以外には何も頼れるものがない言語の囚人も存在しないからである。言語に浸った孤独な精神にとっては、世界について本当のことを話すことは信じられないくらい稀なことであり、危険な仕事なのかもしれない。けれども、身体と装置と科学者と制度からなる、豊かに血管を張りめぐらせた社会にとっては、極めて当たり前の実践である。世界それ自体が分節化されているがゆえに本当のことを話すのであって、その逆ではない。

要約すると、ラトゥールの言わんとしていることは理論負荷性である。例えばある行為の観察を行ったとすると、その観察の結果が元の前提条件に影響を与える。主体‐客体の二分法では客体たるべき観察対象が、一つのアクターとして振舞うのである。そこには翻訳、分節化、委任、外向推移、下方推移といったプロセスが関与する。そこには主体と客体という単純な二分論は存在しない。科学において世界を叙述するということは、斯様にして絶えずお互いに関与しつつ修正を繰り返す循環プロセスである。私はラトゥールの主張をこのように理解した。

この本に関して文章を書くため、私は何度も繰り返し読み直したことをここに告白する。最初の2,3回だけでは本書の言わんとするところ、議論の目的と結論が把握できなかった。5回くらい読み返したときに論点が薄っすらと見え始め、ようやく文章にできるところに漕ぎ着けた。本当はラトゥールと意見を異にする著作を読み、もっと知識を深めていかねばならぬのかも知れないが、今の私では上述のような稚拙な文章を書くのが限界であった。もう少し色々な本を読み、より深い論議ができるようになりたいと思う所存である。

スチュアート カウフマン『自己組織化と進化の論理』(ちくま学芸文庫)

生命はどのように誕生し、そして進化したか。それが本書のテーマである。序盤は生命誕生の所以を考察し、中盤に入ると進化の過程を解き明かす。そして終盤ではそれらによって明らかになった自己組織化の理論を用いて我々の日常生活や経済活動に関して論及する。本書の構成は凡そこのような具合である。

最初のテーマは「生命はどのようにして誕生したか?」ということである。生命を持たないただの有機物の集合体が、如何にして生物と為り得たか。哲学者ベルクソンが提唱した生命衝動という生気論によってか?偶然にもDNAが合成されたからか?本書ではその何れに対してもNoと答える。生気論はその場凌ぎの理屈に過ぎないし、DNAも単独で自己複製し得ない。DNAが自己複製するには酵素やその他複雑なシステムがあってこそなのだ。偶然にDNAが合成されても、それが直ちに生命の創造には繋がらないのである。そしてそれが起こる確率は『竜巻きが物置を襲って、そこにあるものを使ってボーイング747を組み立てるという偶然が起きるのと、同じ程度』と本書で言及している。

それでは生命体は途方もない奇跡によって誕生したのであろうか。ここで登場するのが自己組織化の理論である。つまり、ある化学物質のスープにおける分子の種類がある閾値を超えると、自己触媒的な物質代謝が登場するというものである。先ほどの意見が「生命の誕生は偶然」としていたのに対し、「生命の誕生は必然」と主張しているという意味で決定的に異なっている。そしてそれぞれが共進化していくことで生命は進化する。これを本書では「無償の秩序」と呼ぶ。

それでは進化の過程はどうなのであろうか。ダーウィンの進化論によれば、進化は偶然に起きた突然変異の中で最適なものが生き残るという自然淘汰説を採る。しかし、もしランダムに進化してその中の最適な変異体を模索するとなると、それは膨大な試行錯誤法になってしまい、無限ともいえる時間が要求される。その解決策として、本書で導入されるのがNKモデルだ。NKモデルとは「N個の遺伝子」と「K個の他の遺伝子の対立因子」から適応度を算出する方法で、”K=1″とは1個の遺伝子は他の1個の遺伝子の影響を受けるということであり、”K=N-1″とは自分以外の遺伝子の影響を全て受けるということを意味している。このモデルに基づき、遺伝子は互いに作用しあって突然変異を起こしながら、その地形に最適な進化形態を模索するのである。これをNK適応地形という。このNKモデルを正しく理解しないと、本書の中盤以降の理解が全く進まないことになる。しかし、だからといって詳述するとキリがないので結論から先に述べると、このNKモデルによって分かることは以下のようになる。

進化は、はじめはあちこちの方向へ分岐し、しかも分岐した先の変種がたがいにまったく異なるものであるが、適応度が高くなるにつれてしだいに似たような変種へ向けて、数少ない分岐しかしないという状態へ落ちていく。

このNKモデルが遺伝子間の相互作用、つまり単体種の進化について述べるのと同じように、生態系における生物間の相互作用に適用するモデルが存在する。それが進化的に安定な戦略(ESS)と呼ばれるモデルで、NKモデルに「種の間の相互作用C」と「別の種のと関係数(パートナーの数)S」を加えたものである。このモデルにおいて生態系の進化の過程をシミュレートすると、以下のようになる。

進化の過程において、生態系は自己調節して秩序とカオスの間の転移領域に移動し、生態系は適応度を最大にし絶滅の平均割合を最小にするのである。その過程で、大小さまざまな雪崩現象が起こる。雪崩は、ある場合には系全体にわずかなさざ波を起こすだけかもしれないし、またある場合には生態系全体を大きくゆるがすかもしれない。われわれはみんな、舞台の上である一時期だけいばって歩いたりくよくよしたりして、その後、音もなく消え去ってしまう、そんな役者なのである。けれどもみんなで協力し、しかも知らない間にその舞台を調節しているので、非常に長い目で見ると、結局誰もが一番幸せだったということになるのである。

この一連の研究が示すものはいったい何か。それはもはや明白である。このモデルを受容するということは、生命誕生や進化の過程でそれを主導する、言い換えれば司令塔的役割を担う存在などいないということを意味する。カオスの縁で相転移を繰り返しつつ、あるべき地点に収束する。しかし、それでは諦観に陥りはしないか。本書を読みながら私は疑念を持ったが、その疑念に対してはちゃんと回答が用意されていた。

われわれの最善の努力が最後には先の見えない状態に変わってしまうのなら、どうして努力する必要があるのか。なぜなら世の中がそうなっているからであり、われわれはその世の中の一部だからである。生命とはそういうものであり、われわれは生命の一部なのである。われわれのような、生命の歴史の中でずっと後になって生まれた歴史の役者はおよそ四十億年もの間生物が拡大していった生命の長い歴史の相続人である。その過程に深くかかわることが、畏敬の念に値せず神聖なものではないというのなら、それ以外に神聖なものがあるだろうか。

複雑系の進化モデルの行きつく先は、どうもある種の悟りのようである。読者の全員が同じ悟りを開くとは思えない。しかし、我々人類はそうやってお互いがお互いを意識しながら苦悩し、煩悶しながらあるべき姿に収束していくのだろう。

桓寬『鹽鐵論』本議第一 (4)

文學曰:「古者,貴以徳而賤用兵。孔子曰:『遠人不服,則修文德以來之。既來之,則安之。』今廢道徳而任兵革,興師而伐之,屯戍而備之,暴兵露師,以支久長,轉輸糧食無已,使邊境之士饑寒於外,百姓勞苦於内。立鹽、鐵,始張利官以給之,非長策也。故以罷之為便也。」

大夫曰:「古之立國家者,開本末之途,通有無之用,市朝以一其求,致士民,聚萬貨,農商工師各得所欲,交易而退。易曰:『通其變,使民不倦。』故工不出,則農用乏;商不出,則寶貨絕。農用乏,則穀不殖;寶貨絕,則財用匱。故鹽、鐵、均輸,所以通委財而調緩急。罷之,不便也。」

とりあえず文学の発言をざっと書き下せば、

「古の人は、徳を以て貴く而して兵を用いるを賤しきとす。孔子曰く『遠人服さざれば、則ち文徳を修め以て之を来たらしむ。既に来たれば、則ち之を安ず。』今道徳廃れて而して兵革に任せ、師を興して而して之を伐たんとし、戌に屯して而して之に備え、兵暴し師露る。久長に支するを以てし、糧食を転輸するも已に無く、辺境の士外に饑寒し、百姓内に労苦せしむ。塩、鉄立ち、始めは官の利張りて之を給するを以てするも、長策に非ざるなり。故に之を罷して便と為すなり。」

となり、御史大夫の桑弘羊の発言は、

「古の国家を立つるは、本末の途を開き、有無の用に通じ、市朝は一に其れ求むるを以てし、士民を致し、万貨を衆め、農商工師は各欲するところを得、交易して而して退す。易に曰く『其の変に通じれば、民倦まざらしむ。』故に工出でざれば則ち農用乏しく、商出でざれば則ち穀殖えず、賽貨絶えれば則ち財用匱し。故に塩、鉄、均輸し、財を通じ委ね而して緩急を調える所以。之を罷せば、便せざるなり。」

となるだろうか(誤りの箇所はご指摘を請う)。それぞれの言い分を簡潔に言い表すと、文学は「軍備に資金を投じて遠征を繰り返せば、遠征先の兵士は寒さに凍え饑えてしまうし、内地の百姓は窮乏状態になる。塩鉄の制度は最初こそ利するだろうが、長期的に見れば得策ではない」ということ。一方の桑弘羊は「商工業を盛んにすることで国家は栄える」ということだろうか。塩鉄官や均輸制度は交易を生み、工業が農具の供給、商業が穀物の流通に寄与すると。

つまり、ここは民力休養・重農主義を唱える文学側が桑弘羊の政策は国力窮乏を招くと非難する一方、軍備増強・重商主義を掲げる桑弘羊は依然として塩鉄官、均輸制度の有効性を訴えている場面である。