【感想】塚瀬進『マンチュリア史研究ー「満洲」六〇〇年の社会変容』(吉川弘文館)

感想文を長く書くのは少し疲れるので、思いついたことを箇条書きで記していきます。

<興味の背景>

  1. 長らく読書から離れていたため、再開にあたって興味ある話題について本を読もうと考えた。
  2. 若い頃のゲームの影響(大戦略、提督の決断など)で昭和史に興味があり、その中でも満州事変の周辺は詳しく踏み込んだことがないので、この話題に関係する本を読もうと考えた。
  3. そもそも満州とは何か、ということについて何もわからなかったので、Kindleストアで検索したところ、小峰和夫『満洲』(講談社学術文庫)が目に止まり、読んでみることにした。
  4. 読み進む過程で満州という概念が一筋縄でいかないことを感じるとともに、もう少し理解の度合いを深めたいと考えた。また小峰和夫『満洲』(講談社学術文庫)の原本は1991年刊行であり、今から約四半世紀も前になる。当然、四半世紀も経過すれば学術上の進展もあるだろうと考え、直感に従って手頃な学術書を求めることにした。
  5. 神田古書街の南海堂書店にて、タイトルがそのものズバリである塚瀬進『マンチュリア史研究』(吉川弘文館)を発見。定価11,000円に対する販売価格7,500円でお買い得感もあり、手頃な値段かどうかは差し置いて買い求めることにした。決めては参考文献と従来研究のまとめがしっかりしていそうだったこと。この時代の研究領域についてはなんの予備知識もなく、本当の直感であった。

<読書の目的>

  1. 満州に関する研究がどのように行われてきたか、その視座を得ること。
  2. 先に読んだ本の知識をベースとして、最新研究内容に理解をアップデートすること。
  3. 興味対象を拡大しながら、次に読むみたい本を探ること。

<懸念してたこと>

  1. この分野に関する基礎知識が全くない。この点は読み進めながら理解していくしかない。鶏が先か、卵が先か、みたいな議論である。
  2. 地名が出てきても、それがどこを指すかパッとわからない。地図はほしいけど、中国歴史地図集は現在、8冊セットでないと購入できない。

<感想>

  1. 明清期の制度に関する知識を全く欠いているため不安に思ったが、必要最低限の説明は付されていたので意味不明のまま読み進めるようなことはほとんど起きなかったと考える。ただし、曖昧なまま読み進めた項目もいくつかある。これらはおそらく、この本を買い求める人であれば常識のたぐいなのだと思われる(私のような一般人が買うのは想定されていない)。例えば「羈縻衛所」「馬市」「招撫」「京運年例銀」「旗人、旗界、圏地⇔民人、民界、民地」etc…
  2. 当時の経済活動に関する記述に対する理解をすすめる上で、経済学の基礎的な知識が必要とされること(物価や振替決済、兌換紙幣、非兌換紙幣など)。これに加えて流通している貨幣が時代、地域ごとにバラバラで理解が簡単に追いつかない。
  3. そもそも清朝の旗民分治制とは何か。旗人=世襲制の軍人階級という理解で良いか。しかしながら、非兵士の旗人も清朝末期には多く居たとされ、結局、本書を読んでもはっきりとした理解を得ることはできなかった。もっとも、これだけで独立した研究テーマとなる代物である。現在進行形で研究が進んでいるのであろう。
  4. 満州国に対する見方が広まった。日本と満州の商習慣的な違いからくる、日本主体の統治の困難性。日本の経験に基づく施策は、村民末端まで浸透することはなかったとしている。また重化学工業に対する投資により、一部では企業城下町を形成したが、それは満州国内一般の事象ではなく、特定の地域で見られた現象だとしていた。満州国の政経関係はもう少し調べてみたい。

以上

宮崎市定『科挙史』(東洋文庫)

科挙史 (東洋文庫)

科挙史 (東洋文庫)

本書は1946年に秋田屋から刊行された『科挙』が久しく絶版だったことを鑑み、補訂し題名を『科挙史』と改めて刊行したものである。元々は企画院の外郭団体である東亜研究所より、1939年に清国の官吏登用制度の調査依頼を受けて作成した著者の報告が土台となっている。しかし、肝心な報告書は日の目を見ることなく、後日、報告書の内容を増補して単行本化した。それ故、本書の内容は科挙の歴史全般と言うよりも、清の時代における科挙制度変遷を記したものである。

科挙制度の大きな特徴は、科挙制度が本格運用される唐代以前は他薦による官吏採用だったのに対し、科挙は自薦による官吏採用であった点に尽きる。以後、科挙は制度的変遷を経て清の滅亡と共に崩壊するまで存続する。科挙制度を滅ぼしたものは旧来の儒学の大系とはまったく異なる、西洋学問の存在であった。儒学の知識だけでは欧米列強とは互しえなかったことが制度崩壊の引き金になった。

科挙制度は能力のある人物を官吏として採用できる点において、魏晋南北朝時代に盛んであった九品官人法の流れを汲む体系が貴族制社会の再生産の土壌となっていた点と比べると優れている。一方で科挙を受験するためには幼少の頃より学問に励む必要があり、そもそもそれだけの経済的余裕のない家庭は科挙受験の機会さえ得られなかった。それは結果として支配者層と被支配者層という階級分離・固定化をもたらすことになる。また、100人に数人という過酷な選抜により、進士(科挙合格者)に及第する者以上に落第者を生み出した。この科挙の落第者は進士で占められる中央政府に対して反感を抱きやすく、科挙制度発足以来この落第者、言い換えれば求職できず政府に不満を抱くエリートの処遇は各王朝の悩みの種であった。

こういった科挙制度の歴史、試験方法をざっと眺めることができる点に於いて、本書はやはり名著であることは確かである。もし著者の作成した報告書が東亜研究所に採用され、重要書類として機密扱いにでもなっていたら本書は登場しなかったかも知れない。そう思うと、歴史の奇遇を感じざるを得ないのである。

岡本隆司『李鴻章』(岩波新書)

李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)

李鴻章――東アジアの近代 (岩波新書)

清末に活躍した軍人にして、日清戦争で日本と対峙した清軍の総指揮官である。

本書は李鴻章の生涯を追いながら、

社会からまったく離れた個人は存在しないから、史上の人物をうまく追跡すれば、過ぎ去った時代そのものを復元できる。(プロローグ)

とし、科挙に合格して曾国藩に師事するところから、太平天国の乱の鎮撫を命ぜられて上海を掌握し、日清戦争で日本と対峙するまでその即席を時代背景を描きながら清末の動向を上手く追っている。李鴻章の幸運は偶然にも師事した曾国藩が太平天国の乱の鎮撫を命ぜられ、その部下として治績を挙げたことだろう。

先日紹介した『中国近現代史』も共通して指摘していることだが、当時の清は日本と比べて民衆の識字率・教育水準が低く、国家を挙げての殖産興業・富国強兵を推進する上での大きな障害となった。これが日本と雌雄を決する上での大きな痛手となる。

また日清修好条規で双方の解釈の相違を生んだ「所属邦土」の概念において、朝貢国を含めるか否か両国間で徹底的に意識の共通化を図らなかったことは台湾出兵、琉球処分を経て対立、猜疑を深める原因となる。朝貢国を概念に含むとした清国は日本のことを約束を守らぬ信義に欠ける国と批判し、逆に含まないと解釈した日本は清国のことを国際法を知らぬ国と見なした。恐らくこのときの解釈の相違が、今日の日中両国の領土問題の根幹をなしているのではないか。そう思えてならないのである。

清末の大物政治家である李鴻章の伝記として、本書は大変興味深い。開国後の明治日本の歴史を読むのであれば、本書も併せて読んでおきたいところである。