班固『白虎通』巻一 號 (2)

久しぶりの投稿になります。間が空きすぎて漢文のルールを忘れかけていますが、取り敢えず今回は『白虎通』第一巻の号の解説箇所の第二段落を見ていきたいと思います。

或稱天子,或稱帝王何?以為接上稱天子者,明以爵事天也。接下稱帝王者,明位號天下至尊之稱,以號令臣下也。故《尚書》曰:帝曰「諮四岳」。王曰「格汝眾」。或有一人。王者自謂一人者,謙也。欲言己材能當一人耳。故《論語》曰:「百姓有過,在予一人。」臣下謂之一人何?亦所以尊王者也。以天下之大、四海之內,所共尊者一人耳。故《尚書》曰:「不施予一人。」或稱朕何?亦王者之謙也。朕,我也。或稱予者,予亦我也。不以尊稱自也,但自我皆謙。

これを書き下すと、ちょっと久方ぶりなので不慣れですが、以下の通りになります。

或いは天子を称し、或いは帝王を称するのは何ぞや?おもえらく上に接し天子を称するは、爵を以て天に事うるを明らかにするなり。下に接し帝王を称するは、天下至尊の称を号し、以て臣下に号令する位を明らかにするなり。故に『尚書』曰く、帝曰く「四岳に諮れ」。王曰く「汝の衆を格せ」。或いは一人を称す。王者自ら一人を称するは、謙なり。己材よく一人当たらんと言うを欲するのみ。故に『論語』に曰く、「百姓に過有るは、予一人に在り」。臣下、之の一人を言うは何ぞや?亦た王者を尊する所以なり。天下の大、四海の内を以て、共に尊する者は一人をするところのみ。故に『尚書』曰く「予一人に施さざる」。或いは朕を称するは何ぞや?亦た王者の謙なり。朕、我なり。或いは予と称するは、予亦た我なり。尊を以て自らを称さざるなり。但、自我皆謙とす。

最初の問いは天子と帝王の違いについて。『白虎通』では天子を称するのは天に仕えていることを示すためであり、帝王を称するのは臣民のトップであることを明示して天下に号令をかけるためであると解説しています。

帝が諮るべき四岳が何かということですが、この四岳は山岳のことではありません。『尚書』堯典篇の注疏を見れば分かりますが、四方を司る諸侯のことで帝王を補佐するために儲けられました。また「汝の衆を格せ」は原文だと「汝の衆を裕せよ」となりますが、『白虎通疏証』著者の陳立は、『尚書』盤庚篇にて「格汝眾」の表現があり、格と裕は韻も声も同じなので誤ったのではないかという推測をしています。尚、『尚書』盤庚篇に於ける「格」の意味ですが、『爾雅』釈言篇の解説に拠れば「来たる」という意味になるようです(参照:孫星衍『尚書今古文注疏』)。「汝の衆、来たる」だけでは意味が分からないのですが、この『尚書』盤庚篇全体が盤庚による民衆の教化に関する話になっていますので、総合的には民衆を教化するニュアンスで捉えておけば良いのかな、と。

皇帝の使う自称である一人、朕、予は謙遜表現です。特に天子が「予一人」と称する時は「私は人であって余人と異なるところがない」を意味すると『尚書正義』に記されています。本来、天子は天の代理者という名目がありますから、その代理者が「人」を称すること自体、謙遜した表現になると言うことです。また「朕」が皇帝専用の自称になったのは秦漢の時代以後で、それ以前は貴賎の区別無く「朕」を自称に用いました。具体例では帝堯や帝舜といった五帝、春秋戦国時代の屈原などが「朕」を自称として用いています。

『白虎通』を読むことは『尚書』を読むことに通じますので、何とも神経を使います。特に『尚書』なんて注釈だらけなので、いま上述したことが正しいのかどうかすら、怪しい。間違っている点はどうぞ、遠慮無くご指摘ください。

班固『白虎通』巻一 號 (1)

帝王者何?號也。號者,功之表也。所以表功明德,號令臣下者也。德合天地者稱帝,仁義合者稱王,別優劣也。《禮記謚法》曰:「德象天地稱帝,仁義所生稱王。」帝者天號,王者五行之稱也。皇者何謂也?亦號也。皇,君也,美也,大也。天人之總,美大稱也。時質,故總稱之也。號言為帝何?帝者,諦也。象可承也。王者,往也。天下所歸往。《鉤命決》曰:「三皇步,五帝趨,三王馳,五伯騖。」號之為皇者,煌煌人莫違也。煩一夫,擾一士,以勞天下,不為皇也。不擾匹夫匹婦,故為皇。故黃金棄于山,珠玉捐于淵,巖居穴處,衣皮毛,飲泉液,吮露英,虛無寥廓,與天地通靈也。

帝王とは何でしょうね?というお話。「号」とは何なのかについて、この段落では解説している。全部で五段落、其の中の最初の部分を取り敢えず書き下してみる。尚、例によって本文は陳立『白虎通疏証』(中華書局)に拠った。細かいことを言うと色々大変だけど。とりあえず、さっくり書き下してみる。厳密な書き下しは誰か別な人やってください。

帝王は何ぞや?号なり。号は、功の表れなり。功を表し徳を明らかにし、臣下に号令する者の所以なり。徳が天地に合する者は帝を称し、仁義合する者は王を称し、優劣を別つなり。『礼記』謚法編に曰く、「徳は天地を象りて帝を称し、仁義の生ずるところ王を称す。」帝は天号、王は五行の称なり。皇は何の謂いか?また号なり。皇、君なり、美なり、大なり。天人の総、美大の称なり。時質す、故に之を総称するなり。号が帝を為すと言うは何ぞや?帝は、諦なり。象を承くべきなり。王は、往なり。天下の帰往するところ。『鉤命決』に曰く、「三帝歩き、五帝趨り、三王馳せ、五伯騖す。」号の皇を為すは、煌々と人違うなきなり。一夫を煩らい、一士を擾らい、以て天下を労するは、皇と為さざるなり。匹夫匹婦を擾わず、故に皇と為る。故に黄金を山に棄て、珠玉を淵に捐て、穴処に厳居し、皮毛を衣、泉液を飲み、露英を吮い、虚無寥廓、天地と霊を通ずるなり。

というわけで、結局分かったような分かんないような感じなんですが、そもそも「号」とは功績を称えたり、その人の徳を明らかにする為の代物であるということ。そしてその人の徳が天地と適合していれば「帝」であるし、仁義を持ち合わせていれば「王」であると。徳が天地に合する、とは何とも判然としないですが、自然のあるべき姿に合致しているというか、儒教の徳目をそのまま体現しているとか、そういう感じの意味なんだと思います。だから帝は諦、つまり天のあるがままを体現するんだ・・・見たいな話になっていくのでしょう。

次ぎに「皇」ですが、これも号だと『白虎通』では記しています。「君」「美」「大」とか色々言ってますが、その続きを読む限り人格者のことでしょう。自らが治める対象である庶民や士について「めんどくせぇ」とか思いながら苦労して天下を収めているようでは、「皇」たる資格がないと。そういう些末なこと、面倒なことを面倒と思わないようであってこそ、「皇」なのだと。多分、私なんか一生、「皇」の有資格者になれそうもありません。

で、最後は色々言ってますが、質素倹約ですね。黄金は山に棄て、宝石は河に放り投げ、粗末な住居と衣服、飲食も贅沢しないし、家具も余計なものを置かない。これが天地と霊を通じる方法なのだと説くわけです。

そんなわけで、これに適合する人はあまり見たことないんですが、後漢末から三国時代の武将が死後「家には何も財産がなかった」みたいな記述になっているのは、この辺の考え方があるんだろうなぁ、とか思ったりします。

今回はいつもと違って、自分なりの解釈をかなり入れてしまいましたけど・・・次回はまた気が向いたら。読者諸兄の御指摘御指南、宜しくお願いします。

 

班固『白虎通』巻六 耕桑

思い出したかのように再開してみる。

王者所以親耕,后親桑何?以率天下農蠶也。天子親耕以供郊廟之祭,后親桑以供祭服。《祭義》曰:「天子三推,三公五推,卿大夫七推。」耕於東郊何?東方少陽,農事始起。桑於西郊?西方少陰,女功所成。故《曾子問》曰:「天子耕東田而三反之。」《周官》曰:「后親桑,率外内婦蠶於北郊。」《禮祭義》曰:「古者天子諸侯,必有公桑蠶室,近外水為之,築周棘牆,而外閉之者也。」

久しぶりなので合っているかわからないが、これを書き下すと次のようになる。

王者が耕に親しみ、后が桑に親しむ所以は何ぞや?天下の農蚕を率いるを以てする也。天子は耕に親しみ以て郊廟の祭に供え、后は桑に親しみ以て祭服に供うる。『祭義』に曰く「天子三推、三公五推、卿大夫七推。」東郊に耕するのは何ぞや?東方は少陽、農事は始め起こる。西郊に桑するのは何ぞや?西方は少陰、女の功が成ずる所たり。故に『曾子問』に曰く「天子は東田を耕し、而して之を三反とす。」『周官』に曰く「后は桑に親しみ、外内の婦を率いて北郊に蚕す。」『礼書』祭義編に曰く「古は天子諸侯、必ずや公の桑蚕室有り、外水の近は之が為なり。周りに棘牆を築き、而して外閉の者也。」

天子の祭礼として、天子が田を耕し、后が桑蚕して服を作成して天に供えるというものがある。どうしてそのような祭礼があるのかというと、国家の根幹たる農業を天子が司り、無事に農業に励むことができるように…との意味合いが込められているのであろう。よって、昔の宮殿には蚕を飼うための部屋が設けられていたし、近くに川があるところを選ぶのは祭礼で田を耕すためなのである。

そうすると、必然的に宮殿の敷地内がどのような仕組みか大変興味深いが、これは『三輔黄図』を参照するのが一番適しているのかも知れない。それについては追って調べたいと思う。

まぁ、取り敢えず今日はこの辺で。

班固『白虎通』巻一 爵 (7)

爵人于朝者,示不私人以官,與衆共之義也。封諸侯于廟者,示不自專也。明法度皆祖之制也,舉事必告焉。《王制》曰:「爵人于朝,與衆共之焉。」《詩》云:「王命卿士,南仲太祖。」《禮祭統》曰:「古者明君,爵有德必于太祖。君降立于阼階南,南面向,所命北面,央由君右執策命之。」

「朝で人に爵位を授けるのは、私人を役人として任用していないことを示す」「廟で諸侯を封じるのは、恣意的な運用でないことを示す」という。朝は天子が政務を執る場所、私人は召使いとか家臣の意味。また、本文中に出てくる「阼階(そかい)」がよくわからないので調べたところ、「主人が登る東側の階段(角川新字源 改訂版)」の意味らしく、古来は主人が東側、客が西側の階段を使用したとのこと。

また、『毛詩』大雅・常武の「王命卿士,南仲大祖。」の意味について、ふくらさんが運営する中国兵法では以下のように説明している。

はじめに、周王は王室の軍隊を任命して統帥する権限をがっちり掌握していました。『詩経』「大雅・常武」に「王命郷士、南仲太祖、大師皇父、整我六師、以修我戎」とあります。これは周王が太祖の霊廟において「西六師」の将軍を任命する儀式を行ったことを言っています。軍隊のなかの各種の武官も、おおむね周王によって任命されました。
(中国の兵制―1.夏・殷・周の兵制「第三節 西周の兵制」)

また、陳立は注釈の中で廬文弨『今本四十四篇闕文』を引用する。

廬云:「衆當據本書作士,太祖本作太廟。自專,自一作敢。」

以上のことを考慮すると、ふくらさんの解釈するとおり、この引用部分は将軍の任命が太祖の霊廟に於いて行われたことを指し示すものなのだろう。人に爵位を授けたり、諸侯を封じたり、将軍を任命するという行為は、儀式化することでその重要さ、神聖さを印象づけていたのであろう。人事権の行使は今も昔も大変なのである。

班固『白虎通』巻一 爵 (5)

婦人無爵何?陰卑無外事,是以有三從之義:未嫁從父,既嫁從夫,夫死從子。故夫尊于朝,妻榮于室,隨夫之行,故《禮郊特牲》曰:「婦人無爵,坐以夫之齒。」《禮》曰:「生無爵,死無謚。」《春秋》録夫人皆有謚,夫人何以知非爵也?《論語》曰:「邦君之妻,君稱之曰夫人,國人稱之曰君夫人。」即令是爵,君稱之與國人稱之不當異也。

婦人に爵がない、ということについて論述している段落。『列女傳』にはかの有名な「未だ嫁がずは父に従い、既に嫁げば夫に従い、夫が死せば子に従え」の文句があり、『禮記』には「婦人に爵無く、坐して夫の歯を以てす」「生きて爵無く、死して謚無し」とある。とにかく女性、特に嫁いだ夫人は夫の陰となるべきことが説かれている。

しかし、一方で『春秋』には婦人に爵がある記録が残っている。これを受けて『白虎通疏証』の著者である陳立は注釈で

此據夫人有謚,以難婦人無爵也。(此れ夫人謚を有するに據りて、以て婦人の爵無きを難ずる也。)

と述べている。正直、これだけでは何と解釈して良いのか完全には掴みきれないが、婦人には爵がないんだという考え方は必ずしも当てはまりませんよ、ということなのかも知れない。*1 *2

*1:その後、Twitter上でgoushu氏から「陳立の注は文末につけられているのでわかりにくいけど、「《春秋》録夫人皆有謚,夫人何以知非爵也?」に対する注釈っぽい。『白虎通』は「春秋によると夫人に謚があるんだから、(爵があってもおかしくない、というか)『「夫人』っていうのが爵の名前じゃね?」という論難を仮設して、仮設した論難を論破することによって婦人には爵が無いという説を補強するというレトリックを使っている。ちなみに『夫人』が爵じゃない根拠はその後の論語の引用。論語に邦君の妻は「夫人」と呼ばれたり「君夫人」と呼ばれたり呼称が変わる。」というご指摘をいただいた。多謝!ご指摘の相当箇所はこちら→

*2:更に追記。先のご指摘を踏まえれば、婦人に爵は無いのですよ、ということになる。

班固『白虎通』巻一 爵 (4)

王者太子亦稱士何?舉從下升,以為人無生得貴者,莫不由士起。是以舜時稱為天子,必先試于士。《禮士冠經》曰:「天子之元子,士也。」

今回の段落は非常に短い文章となっている。主題は「王や太子を士と称するのは何ででしょうね?」という疑問である。この文章の注釈で陳立が述べているが、天子や諸侯が後を継いで国のトップに立っていたとしても、爵位を賜わなければ「士」の階級と同列とされたようである。この根拠として陳立は『禮記』王制編や『春秋公羊傳』僖公五年の注釈などを引用している。

ところで天子は爵位であり、爵位を賜わなければその地位にあっても士と同列と見なされるのであれば、果たして天子の爵位を与えるのは誰なんでしょうね?天の意思が天子の爵位を賜る式を何らかの形で執り行っていたんでしょうか。嗚呼、これだから私は儀礼に疎くていけません…

班固『白虎通』巻一 爵 (1)

気力が続くうちに新しい記事を。
モチベーションが無くなると一気に更新ペース落ちますからね。
(2ヶ月に1回更新ペースとか…)

以前やっていたブログでも取り上げた『白虎通』ですが、この書物は漢代の制度や考え方について興味深い記述をしています。

そもそも『白虎通』はどうして編纂されたのか復習いたしますと、後漢初期、儒学には大きく分けて古文学派と今文学派に分かれておりました。その為、章帝の頃に制度・文化的な問題を議論するために学者・官僚が白虎観に集いました。この結果は『漢書』の著者でもある班固によって纏められ、『白虎通』となりました。『白虎議奏』『白虎通徳論』『白虎通義』とも称しますが、いずれも同じ書物です。

今回は清代の陳立によって校釈された『白虎通疏証』をベースに本文を紹介していきます。

天子者,爵稱也。爵所以稱天子者何?王者父天母地,為天之子也。故《援神契》曰:「天覆地載謂之天子,上法斗極。」《鉤命決》曰:「天子,爵稱也。」帝王之紱有優劣,所以俱稱天子者何?以其俱命於天,而王治五千里內也。《尚書》曰:「天子作民父母,以為天下王。」何以知帝亦稱天子也,以法天下也?《中候》曰:「天子臣放勳。」《書亡逸篇》曰:「厥兆天子爵。」何以言皇亦稱天子也?以其言天覆地載,俱王天下也。故《易》曰:「伏羲氏之王天下也。」

ここは「天子」という呼称が爵号である、と言及している段落です。この本文に対する注釈は色々ありますが、簡略して云えば、天下を治め民の頂点に立つ聖人に与えられる称号、と解釈すべきでしょうか。尚、この段落の出典は今文学の書籍が中心となっています。

班固『白虎通』巻九 姓名 (3)

人必有名何?所以吐情自紀,尊事人者也。《論語》曰:「名不正則言不順。」三月名之何?天道一時,物有其変,人生三月,目煦亦能咳笑,与人相更答,故因其始有知而名之。故《礼服伝》曰:「子生三月,則父名之于祖廟。」於祖廟者,謂子之親廟也。明当為宗廟主也。一説名之于燕寝。名者,幼小卑賎之称也。質略,故于燕寝。《礼内則》曰:「子生,君沐浴朝服,夫人亦如之。立於阼階西南,世婦抱子升自西階,君命之,嫡子執其右手,庶子撫其首。君曰『欽有帥』。夫人曰『記有成』。告于四境。」四境者,所以遏絶萌芽,禁備未然。故《曾子問》曰:「世子生三月,以名告于祖檷。」《内則記》曰:「以名告于山川社稷四境。天子太子,使士負子於南郊。」以桑弧蓬矢六射者,何也?此男子之事也。故先表其事,然後食其禄。必桑弧何?桑者,相逢接之道也。《保傅》曰:「太子生,挙之以礼,使士負之有司斉粛端〓,之郊見于天。」《韓詩内伝》曰:「太子生,以桑弧蓬矢六,射上下四方。」明当有事天地四方也。殷以生日名子何?殷家質,故直以生日名子也。以《尚書》道殷家太甲、帝乙、武丁也。于臣民亦得以甲乙生日名子何?不使亦不止也,以《尚書》道殷臣有巫咸,有祖己也。何以知諸侯不象王者以生日名子也?以太王名亶甫,王季名暦,此殷之諸侯也。《易》曰「帝乙」,謂成湯。《書》曰:「帝乙」,謂六代孫也。湯生於夏時,何以用甲乙為名?曰:湯王後乃更変名,子孫法耳。本名履,故《論語》曰:「予小子履」。履,湯名也。不以子丑為名何?曰:甲乙者,榦也。子丑者,枝也。榦為本,本質,故以甲乙為名也。名或兼或単何?示非一也。或聴其声,以律定其名。或依其事,旁其形。故名或兼或単也。依其事者,若后稷是也。棄之,因名為棄也。旁其形者,孔子首類丘山,故名為丘。或旁其名為之字者,聞名即知其字,聞字即知其名,若名賜字子貢,名鯉字伯魚。《春秋》譏二名何?所以譏者,乃謂其無常者也。若乍為名,禄甫元言武庚。 不以日月山川為名者,少賎卑己之称也。臣子当諱,為物示通,故避之也。《礼》曰:「二名不偏諱。逮事父母則諱王父母,不逮父母則不諱王父母也。君前不諱,詩書不諱,臨文不諱,郊廟中不諱。」又曰:「君前臣名,父前子名」謂大夫名卿,弟名兄也。明不諱于尊者之前也。太古之世所不諱者何?尚質也。故臣子不言其君父之名。故《礼記》曰:「朝日上質不諱正天名也。」人所以十月而生者何?人,天子之也。任天地之数五,故十月而備,乃成人也。人生所以位何?本一幹而分,得気異息,故泣重離母之義。《尚書》曰:「啓呱呱而泣」也。人拝所以自名何?所以立号自紀。礼,拝自後,不自名何?備陰陽也。人所以相拝者何?所以表情見意,屈節卑体,尊事人者也。拝之言服也。所以必再拝何?法陰陽也。《尚書》曰:「再拝稽首」也。必稽首何?敬之至也,頭至地。何以言首?謂頭也。《礼》曰:「首有瘍則沐。」所以先拝手,後稽首何?名順其文質也。《尚書》曰:「周公拝手稽首。」

名前に関する項目。凄く長いが、落ち着いて読めば何と言うことはない…はず。

まず天子や諸侯の場合、子供が生まれると夫婦そろって沐浴し、正装に着替える。そして夫は自宅の階段の西南側に立ち、妻は子供を抱いて西側に立つ。生まれた子供が嫡子ならば子供の右手を執り、庶子ならば其の首を撫でる。そして子供が生まれたことを四境、則ち周囲に告げる。その後、生まれてから親が子供を名付けるまで三ヶ月待つ。というのも三ヶ月も待てば子供に表情が産まれ、其の人相を見て名付けるからだという。名付けたらその子の名を祖廟に報告する。これが一連の流れである。

その後、何で殷代では王の名前が甲乙丙なのか…といった話がしばらく続き(面倒なので省略する)、名付け方の実例に入る。最初に言及するのは孔子サマこと孔丘であるが、何故「丘」が名前になったのかというと、首が丘のようだったからだという。そう言われてもサッパリ意味がわからないので陳立の注釈を見ると、「孔子首四方高,中央下,有似于丘,故取名焉。(孔子の首は四方が高く、真ん中が下っていて、丘に似ているので、その名を取ったのである)」とある。やっぱりわからない。誰か絵で説明してくれ…

名と字(次段落で説明)は意味的に相応の関係でなければならず、「賜⇔子貢(賜も貢も人に与える意味がある)」「鯉⇔子魚(両方とも魚)」のような感じである。尚、『春秋公羊傳』に限ってであるが、2つの名前を持つこと(途中で改名すること)は礼に反するとして難じられる(2文字の名前は大丈夫だし、『春秋左氏傳』の立場ではそもそも2つ名を禁じていない)。

また、名前を人前で用いることは忌むべき事とされるが、例外とされる事例が幾つかある。

  • 君主の前
  • 目上の人間の前
  • 詩を書する時
  • 文に臨む時
  • 郊廟の最中

あとは省略するが、人前で稽首する理由と意味を最後に述べ、名前に関する記述は終了する。名前は正に本人を表現するのであり、昔も今も軽々しく考えてはならない。正しく「名は体を表す」のである。

班固『白虎通』巻一 爵 (2)

爵有五等,以法五行也。或三等者,法三光也。或法三光,或法五行何?質家者據天,故法三光。文家者據地,故法五行。《含文嘉》曰:「殷爵三等,周爵五等。」各有宜也。《王制》曰:「王者之制祿爵,凡五等。」謂公侯伯子男也。此據周制也。《春秋傳》曰:「天子三公稱公,王者之後稱公,其餘大國稱侯,小者伯子男也。」《王制》曰:「公侯田方百里,伯七十里,子男五十里。」所以名之為公侯者何?公者,通也。公正無私之意也。侯者,候也。候逆順也。人皆千乘,象雷震百里所潤同。伯者白也。子者,孳也。孳無已也。男者,任也。人皆五十里。差次功德。小者不滿為附庸。附庸者,附大國以名通也。百里兩爵,公侯共之。七十里一爵,五十里復兩爵何?公者,加尊二王之後;侯者,百里之正爵。上可有次,下可有第,中央故無二。五十里有兩爵者,所以加勉進人也。小國下爵,猶有尊卑,亦以勸人也。殷爵三等,謂公侯伯也。所以合子男從伯者何?王者受命,改文從質,無虛退人之義,故上就伯也。《尚書》曰:「侯甸任衛作國伯。」謂殷也。《春秋傳》曰:「合伯子男為一爵。」或曰:合從子,貴中也。以《春秋》名鄭忽,忽者,鄭伯也。此未逾年之君,當稱子,嫌為改伯從子,故名之也。地有三等不變,至爵獨變者何?地比爵為質,故不變。王者有改道之文,無改道之實。殷家所以令公居百里,侯居七十里,何也?封賢極于百里,其政也,不可空退人,示優賢之意,欲褒尊而上之。何以知殷家侯人不過七十里?曰:士有三等,有百里,有七十里,有五十里。其地半者其數倍,制地之理體也,多少不相配。

この段落は五爵・三爵に関して言及している。五爵とは公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵であり、周の制度に由来する。一方の三爵はは公爵、侯爵、伯爵であり、殷の制度に由来する。この爵位による違いの一つは所有する土地の面積であり、公爵と侯爵は百里を、伯爵は七十里、男爵と子爵は五十里四方の土地を有する。三爵の場合は上から順に百里、七十里、五十里四方をそれぞれ有する。

またそれぞれの爵位の名前の由来もこの段落に示されている。公(=通)は公正無私に由来し、侯(=候)は雷震の音が百里先まで達することからその影響力を象っている。伯(=白)は『風俗通』や『春秋元命苞』でも言及しているが、徳に関して明らかである意味を持つ。子(=孳)は子孫が尽きることなく続くことを指し、男(=任)は功業を立て住民を教化することを指す。ちなみに『春秋左氏傳』の賈逵の注釈や『孔子家語』の王肅の注釈では、男は古来「南」の字であったと指摘する。

なお漢文を全て手で打ち込むのは面倒なので、基本的にはWikisourceをコピペしているが、手持ちの陳立『白虎通疏證』(中華書局)で確認すると随分と本文が異なっている。Wikisourceの引用している版本が何であるかは不明なので、信頼可能なテキストの方に合わせている。これだけで結構な手間である。

班固『白虎通』巻九 姓名 (4)

人所以有字何?所以冠徳明功,敬成人也。故《礼士冠経》曰:「賓北面,字之曰伯某甫。」又曰:「冠而字之,敬其名也。」所以五十乃称伯仲者,五十知天命、思慮定也。能順四時長幼之序,故以伯仲号之。《礼檀弓》曰:「幼名冠字,五十乃称伯仲。」《論語》曰:「五十而知天命。」称号所以有四何?法四時用事先後,長幼兄弟之象也。故以時長幼号曰伯仲叔季也。伯者,長也。伯者,子最長迫近父也。仲者,中也。叔者,少也。季者,幼也。適長称伯,伯禽是也。庶長称孟,魯大夫孟氏是也。男女異長,各自有伯仲,法陰陽各自有終始也。《春秋伝》曰:「伯姫者何?内女也。」婦人十五称伯仲何?婦人質少変,陰道促蚤成,十五通乎織紝紡績之事,思慮定,故許嫁,笄而字。故《礼経》曰:「女子十五許嫁,笄。礼之称字。」婦人姓以配字何?明不娶同姓也。故《春秋》曰:「伯姫帰于宋。」姫者,姓也。質家所以積于仲何?質者親親,故積于仲。文家尊尊,故積于叔。即如是,《論語》曰:「周有八士,伯達、伯适,仲突,仲忽,叔夜,叔夏,季随,季騧。」不積于叔何?蓋以両両倶生故也。不積于伯、季,明其無二也。文王十子,《詩伝》曰:「伯邑考,武王発,周公旦,管叔鮮,蔡叔度,曹叔振鐸,成叔処,霍叔武,康叔封,南季載。」所以或上其叔、季何也?管、蔡、霍、曹、霍、成、康、南皆採也,故置叔、季上。伯邑考何以独無乎?蓋以為大夫者不是採地也。

姓名に関する記述の最後。字に関する話題。字を有する所以は「徳を冠し功を明らかにし、成人を敬う所以なり」ということで、言い換えれば相手に対する敬意である。周代の頃は50歳を過ぎると20歳の頃の字を捨て、敬意を以て「伯仲」を字とする習慣があったらしい。「所以五十乃称伯仲者…」の件はその習慣に由来する。

字のルールに関してはネット上で広く論じられているので今更繰り返す必要もないと思うが、とりあえず述べておく。兄弟の長幼によって字に関する文字が変わる。年長から順に伯、仲、叔、季。嫡子は「伯」の字を用いるが、庶長子の場合は「孟」の字を字に用いる。

女性は15歳で一人前となって嫁に嫁いでも問題なくなる為、成人(笄)する。男性と異なり家門を表す氏ではなく姓を用いた「字+姓」の構成になるのは、同姓不婚の原則を貫く為。

最後の箇所は解釈にイマイチ自信が無いのだが、『詩伝』で引用する管叔鮮以下は基本的に「姓+叔or季++名」の構成になっいて、どうやら是が周代のルールだったらしい。一方、「伯邑考」に叔や季の字を置いていないのは、「伯邑考は大夫の階層だから、そんなルールには縛られない!」ということらしい。ここから読み取れるのは、周代における姓名の呼称は漢代以降と必ずしも同一では無さそうだ、ということである。もちろん、昔ながらの名残が続いていることもあるだろうが、そうでないことも意識ながら読まないといけない。

姓名に関しては他に『禮記』を筆頭に参考となる書籍が色々あるので、これらを参照しながら当時の実情を勘案しつつ調べていかないといけない。『白虎通』一冊だけで簡単に判断できるものではないのだ(という言い訳で〆)。