ブログに回帰してみようかな、という話

さてどうしましょうか、ということである。現状、年1回程度の投稿をするためにこのブログがあるといっても過言ではない。しかも投稿内容は取り留めのない話ばかりである。差し当たり何か語りたいことがあるかといえばそうでもないし、何も語るべきことがないわけでもない。単に話題を見つける力の低下というべきか。

それでもブログを続けているには理由があって、それはこの独自ドメインを普段のメールサービスとして利用している、というものである。独自ドメインなので仮にプロバイダ契約を変更したり、Gmail利用を控えたりするときの避難場所として有効であるし、いざとなればメールアドレスを無限に増やせるからゲフンゲフン…というわけである。このブログはそのオマケとして存続しているといっても過言ではない。

このブログはレンタルサーバー業者(Lolipop)が提供するWORDPRESSというサービスを利用したものであって、定期的にバージョン更新が行われる。この記事を書いている段階ではver.4.4.2である。存続させる以上は最低限のセキュリティに配慮するわけで、全く管理していないわけではないのである。実は本日もレンタルサーバ業者からセキュリティ維持のためのバージョンアップを急かされて対応したのである。

今回、ふと気になってWORDPRESSに関係する書籍を調べていたところ、今更ながらではあるが、ホームページ代わりの運用も可能であることがわかった。周回遅れもいいところである。せっかくポメラDM100を毎日持ち歩いていることであるし、何か思いついたことを取り留めもなく記して投稿しようと思った次第なのである。

本当はしっかりとコンテンツ内容を検討したり宣言したり、ということを経て動く方がいいのかもしれないが、私はそういうことが向いてない性分らしい。だから思いついたらとりあえず動きつつ、後から軌道修正をする感じでも構わないのではないかと思っている。ここのブログの中でグダグダしている分には誰に迷惑をかけるわけでもない。
ということで、次回はまた何か思いついたら投稿する予定である。

pomeraと電子書籍専用端末

昨日の記事で言及したかったのだが、話の流れの都合で言及できなかったので、別の記事として書いてみたい。

文房具に限らず、電子文具(pomera)とか電子書籍とかの類も好きで、帰りがけの電器量販店で色々と見て回っている。しかし、最近はpomeraや電子書籍の専用端末を利用する機会がめっきりと減った。今回はその辺のことを書こうと思う。

まずpomeraから。pomeraを購入したのは今から2年前のこと。ちょうどAndroidタブレットが流行りだした頃で、当時の私もAndroidタブレットとpomeraの両方を購入している。Android機はタブレットに対する興味とノートパソコンの代わりになるかも知れないという期待を込めて購入していたものだ。しかしながら、私が購入したタブレットは持ち運びに重く、嵩張るのでいつでも持ち歩くわけにも行かず、結局pomeraを活用することになったのである。また、当時は業務上、議事録作成としてpomeraを活用していたし、ブログ記事もpomeraで下書きしていたから活用の幅は広かったと言っても良い。

最近になってpomeraの活用が減ったのは以下二つの理由からだ。一つが外出時に単純な記録係としての役割が減って、実際に話をする主体となることが多くなったことだ。当然、記録は持参した紙資料へのメモで断片的になるし、足りない分は音声記録でカバーした。そして最終的にはそれら記録を持って会社で清書することになる。もう一つがそもそもブログを書かなくなってTwitterメインになり、pomeraを使用するまでもないレベルの文章しか作成しなかったこと。

また、pomera(DM20)は日本語変換機能が少々残念で、一般的な文章ならいざ知らず、歴史とか仕事上の文章だと変換に困ることも少なくなかった。結果、2013年末に購入した8インチのWindowsタブレットとBluetoothキーボードの組み合わせが日本語変換機能の上でも、その他汎用性でも便利であり、しかもWindowsタブレットは浪費さえしなければ電池寿命もそれなりにあるのでpomeraを敢えて持ち出す必要はなくなったのである。

次ぎに電子書籍である。厳密に言えば今でも電子書籍は読んでいるが、読んでいるのはスマホかタブレットを介してであり、専用端末を使用して読むことは殆ど無い。何故なら専用端末は不便だからである。

何が不満かと言えば、購入した電子書籍サイト毎に使用できる端末が異なるからである。booklive!で購入した電子書籍はsony readerで読むことはできないし、Kindleを筆頭にそれ以外の端末でも同様である。しかしながら、読みたい本のラインナップはどこの電子書籍サイトでも同じもの……というわけではなく、サイト毎に微妙に異なっている。よって、読みたい本を電子で読みたい場合は複数の電子書籍サイトを利用する結果となり、その為に別々の専用端末を用意するのはとても面倒で賢いとも言えない。ましてや、同じタイトルの本を別の電子書籍サイトで複数購入することはお金の無駄であるから、やりたくない。結果、一つの端末で済むスマホやタブレットを介した電子書籍利用に落ち着くのである。電子書籍は今後も生きるだろうが、現状のような囲い込みを企図した専用端末のあり方では不便すぎて誰も買わないだろうなぁ、と思う次第なのである。

瞬間的には魅力的な電子文具だが、何だかんだでスマホやタブレットのような汎用機に回帰せざるを得ないというのは、何とも寂しい気持ちにさせられる。ま、用途あっての文具であるから、世相と個人的環境により必要とされるものが変わるのは仕方無いのかも知れない。

万年筆その後

 文具が好きである。電子文具もアナログな文具もみんな好きで、買いこそしないが見ていて楽しいのである。一般人レベルでのパソコンの時代の到来を告げるWindows 95が発売された頃はまだ小学生高学年で、その前後では父親が仕事でワープロを使用していたからアナログな世界は学校の中だけに存在した。小学生の頃の文房具なんて、DQのバトル鉛筆を購入して転がして遊んだり、定規をペンではじき飛ばして相手の定規を机の外に落としたり、イライラしたときは鉛筆を囓ったり折ったりするなど、せいぜいその程度の存在であった(少なくとも私の地元では)。

 文房具に対して強い興味を覚えたのは大学の研究室に入ってからで、趣味としての文具の世界を知ったからである。当時、私の所属していたグループでは万年筆を持っている人が数名居り、面白そうだなぁと眺めていたのを覚えている。ただし記憶が正しければ、大学時代に興味は持ったけれども実際に買うには至っていない。理由は単純で、万年筆は高級筆記具であり、そこにまでお金を投じる余裕なんてなかったからである。もしかしたら買ったかも知れないが、だとしても記憶に残らない程度の印象・値段である。

 そういう訳で、実際に文具関係に手を出したのは社会人になってからで、自分で稼いだお金を自分で使えるようになってからである。その辺は前の記事に細かく書いたので差し置くが、最近になって(それでも購入したのは2013年3月頃である)金ペンの万年筆も購入した。先のCoCoonと同じPILOT製のCustom 74である。ただし私の場合は左利きであるという個人特有の難点があって、普通に書くと文字を押したり巻き込んだりする為に中字のペン先なのに文字が掠れてしまう。ネットでは持ち方を工夫して万年筆本来の書き味を引き出す方法もあるのだが、この書き方はかなり修練を必要とする上、普段使っているのは万年筆だけではないので変な癖が付いても困る。結果、自然と筆圧をやや強めにしてペン先に負荷を与えて書くスタンスに落ち着いていた。

 長い前書きになったが、ここからが本題。実は世の中には左利き用の万年筆というのが存在していて、一つはSAILORのプロフィット21レフティという代物で、約2万円。基本は細字であり、それ以外のペン先だと特注品で1ヶ月近くの時間を有するという。もう一つは伊東屋で保管してたPILOTの現在絶版の左利き用万年筆で各種ペン先のサイズがあって3万円。いずれも力を入れずにスラスラ書けて感動的だった。しかしながらお値段を考えると買うには迷うし、買ったら確実にCustom 74を使わなくなるしで悩ましい時間が続いた。

 そんな悩みを抱えていた或る日、ラゾーナ川崎の丸善にてPILOTのペンドクターがペンクリニックを開催するとの情報があった。私の左利き特有の悩みも解決してくれるかも知れない、という期待があった。何しろ、売れないにしろ左利き用の万年筆が既製品で登場するのである。幾らかお金を払えば調整できるだろうと期待した。相談した結果、ペン先のインクフローの状態を少し弄っただけで書き味が劇的に向上。全く力を入れなくても掠れずに文字を書けるようになった。しかもお値段はタダ。PILOTさん、流石です。
PILOT ペンクリニック

 CoCoonでの万年筆デビュー以来、やはり私はPILOTの万年筆に縁があるみたいで、今後も引き続きPILOTさんには万年筆事業を頑張って欲しいものである。

無理に更新するのはよくないな、と思う。

差し当たって今年の1月3日頃よりBlogを開始し、今日に至るまで記事を連続投稿してきたがちょっとそれも限界だ。

ネタはなくもないのだが、気力が兎に角続かない。最近はつきあいでの飲み会が続くと、帰ってから漢籍を読もうとはあまり思わぬ。自らの意思で飲む場合はいいが、そうでない場合は話が別だ。飲み会が楽しくないわけではないが。

そんなわけで、ちょっと今日はネタが思いつかない。そして気力も尽きている中で無理矢理更新するのもアレだなーと思うので、連続更新に拘るのは止めようと思う。

もっとも一度そうしてしまうと、更新ペースが極度に落ちて月1回程度になってしまったりする。緊張の箍が外れてしまうと極端な結果になる。

さてどうしたものか。

鋭意インストール中

今、LaTeXによるホームページ作成をするため、その開発環境を調整中。ずっとコマンドプロンプトの画面と睨めっこが続く。

プログラムって正直言って、時間が経つのが早いと思う。現場作業や書類作成作業に比べて体感的に感じるだけだけど。そして、時間が経つ割に進捗が芳しくないというのも確か。慣れていないせいだろうが。

しばらく開発環境が整うまで、日記はこういう雰囲気が続きます。ちなみにインストールしたプログラムはLaTeX2ε、Strawberry Perl、Visual C++、Cygwin。とりあえず、どういう状況でも対応できるようにしておく癖がよく現れている。

今はインターネットで調べれば、ある程度までわかるから便利。本格的にやるのであれば、本を購入する必要はあるだろうけど。別にC言語とかUNIX環境で何か本格的なプログラム組むわけじゃないし、そこまではお金かけない予定。

それにしても、プログラムの解説書ってどうして大きくて重いんだろうか。

TEXの記法練習

TEXの記法が使えるらしいので、少し練習がてらに熱力学に関する式を入力してみる。

《閉じた系の絶対仕事の式の導出》

閉じた系に於いて状態1から状態2に変化した時の仕事Wは、熱力学における仕事Wが圧力pと体積Vの積で定義されるから、

 ¥mathbb{W}_{12} = ¥int_1^{2}¥text{d}W = ¥int_1^{2}p¥text{d}V

で表現できる。この時、等温変化における仕事の式は以下の気体の状態方程式

 pV = nRT

を先ほどの式に代入して求めることができる。乃ち、

 ¥mathbb{W}_{12} = ¥int_1^{2}p¥text{d}V = ¥int_1^{2}¥frac{nRT}{V}¥text{d}V = nRT¥int_1^{2}¥frac{¥text{d}V}{V}

 ¥hspace{30}= nRT¥left[¥text{ln}V¥right¥]_{1}^{2} = nRT¥left[¥text{ln}V_2 - ¥text{ln}V_1¥right¥] = nRT¥text{ln}¥left(¥frac{V_2}{V_1}¥right)

また、圧力変化の時の仕事を求める場合はボイルの法則

 P_{1}V_1 = P_{2}V_2

より、以下のように式変型を行う。

 ¥mathbb{W}_{12} = nRT¥text{ln}¥left(¥frac{V_2}{V_1}¥right) = nRT¥text{ln}¥left(¥frac{P_1}{P_2}¥right)

(証明終わり)

なるほど、確かにこれは使いどころがわからないけど便利だな。
…これは行間を空けないと見辛いな。

中級者の名称に関する諸問題

そんな問題がそもそも存在するのかという疑問はさておき、少しだけ今日の日中に話題となった事柄について。

中級者の集いに関するログ

そもそも三国志に関する中級者とか初心者とかに明確な区分は存在しない。もし本当に広く使うのであれば誰かが○○は初心者である、××は中級者である、といったような認定をしなければならない。しかし、今度は誰がそれを認定するのか。その認定者に相応しいのは誰だろうかという話になる。

一番分かり易いのは三国志検定だろうか。だが、これは一部の三国志好きが受験しているだけで、全ての三国志好きが受験しているわけではないし、受験していない人間は三国志好きを名乗ってはいけない、という筋合いの代物でもない。就職に有利になるわけでもない。

一応、私が中級者という用語を用いている時は自分の中で勝手に次のような定義をしている。「正史に興味を持ち始め、How to本には飽き足らなくなってちくま訳正史又は中華書局の原書を読んでいるが、一方で学術論文を寄稿するには至らない知識レベルの階層」この定義は私が勝手に決めたものなので賛否両論はあるだろうが、私の想定する方々は此処に当てはまる人たちである。恐らく大量の人が此処に当てはまるので、本当はもう少し細分化した方が分類法としては適切なのだとは思う。

しかし根本的な問題として昨日の記事でも言及しているとおり、一応は勉強会を兼ねてはいるが、基本的に私の開催するこのオフ会は飲んでしゃべっているだけである。こういう厳密な区分をして何かどうこうするつもりはないし、区別すること自体に意味があるとは思わない。論文投稿をする力量の人が居てもいいし、演義にしか興味がない人が居てもいい。ただ、話題が合うかどうかは別問題である。

次に敷居の問題について。

ある程度の力量を持った人が謙遜していると初心者の敷居が上がるからあまり好ましくない、という意見である。確かに納得は出来るが、一方で「ある程度の実力を持っている」とは一体誰が認定するのかという問題が依然として存在する。明確で誰もが納得できるような基準があればいいが、そのようなものは三国志界隈に存在しない。それに或る一分野において博学でも、そこから少しでも外れると基礎レベルさえ危うい、ということは良くある話。そもそも趣味なので興味がある分野に特化して知識を獲得するのは自然な流れで、誰もが三国時代の文化、政治、宗教等の諸問題に広く通じなければならない、という法はない。そもそも、誰かに認められたくて正史を読んでいるわけではない。

そうなると、自分が初心者であるか上級者であるかは自称とする他はない。その時の自称の尺度は恐らく(1)自分の目標とするレベルを設定し、(2)知識のない段階から目標到達まで数直線上で表し、(3)自分の実力がどの程度の位置にあるのかを見て自称を決める、という段階を踏む。その為、相対的に見れば最初の目標レベルの設定が重要になるのであって、その設定を低く見積もれば容易に自称上級者に到達できるだろうし、逆に汲古書院で専門書を著す大学教授レベルを設定すれば学術論文を1本投稿したところでまだ目指す道のりは迂遠であろう。

結局最初の話に戻ってしまうが、三国志界隈の共通した到達目標がない以上、中級者という呼称にそれほど重要な意味はないし、当然初心者という呼称にも同じく重要な意味はないように思われるのである。

最近すっかりご無沙汰になっていることについて

  1. Skypeグループ通話形式の漢文訓読会を不定期になりつつあるが、一応は主催している。が、社会人がメインのために中々人が集まらない。皆で同じ箇所を読み合う、というのは不勉強さを思い知らされて冷や汗ものである一方、各自が自宅にある辞書やら史料やらを持ち合ってわいわい騒ぐ楽しい場でもある。できれば今後も継続したいが、果たして需要はあるのだろうか。
  2. 主にTwitter又はSkype仲間と東京横浜近郊に集まって三国志に関して話し合う中級者の集いなるものを主催している。主催していると言っても、適当に呼びかけて飲んで騒ぐだけなのであるが。これも随分とご無沙汰である。もし人が集まるようなら、またやってみたいものである。
  3. 昔ながらのホームページをまた作ろうかな、と性懲りも無く考えている。ただ、既に三国志関係はこれまで数多くのサイトによってやり尽くされた感があり、今更私がやっても継続性に難があるのと、屋上屋を架すことにしかならない懸念がある。また新しい技術(新規格のHTML5)を試すための実験場に終わるのかどうか。

漠然と、今考えていることを此処に記してみた。これらは今後実際にやるかも知れないし、やらないかも知れない。又はこっそりやっているかも知れない。三国志好きは多いようでそうでもないし、別に本格に気合い入れて…ではなくて、もう少し肩の力を抜いて気楽にやりたいから適当な感じになっている。コーディネーターとかプロデューサーになるつもりは更々無いのである。

岩波文庫の中国古典の価値について

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書き下し文を上手く書きたいなぁ、とは常に念願しているのだが独習だと中々上手くいかない。誰かと切磋琢磨しながらが一番理想だろうが、現実は上手くいかないものである。

やはりこういうときは、偉い先生の作った書き下し文を参照するのが良いのかもしれない。例えば、高校生から大学生の頃にかけ、岩波書店の中国古典関係を色々と購入している。写真で遷っている者だけでも、右から『韓非子』『易経』『荀子』『荘子』『孟子』『論語』、そして最近購入した『支那通史』もある。

岩波書店のこれら文庫の良い所は、原文を参照しながら書き下し文、語注が載っている所だ。昔購入した時はあまり有難味を感じなかったが、今になって振り返ると非常に労力をかけた、ありがたい構成だ。分かり易いとか読み易いということが持て囃されるが(特に角川ソフィア文庫はその傾向があるだろうと思う)、一方でこういう正統派の構成も残っていて欲しい。私のような独習者にとっては、特に重要だと思うから。

今日はそんなふとした感想を述べてお終い。